じゅくせんのつぶやき

日々の生活の中で感じた事をつぶやきます。

浅田次郎「鉄道員(ぽっぽや)」

2018-03-21 21:13:53 | Weblog
☆ 浅田次郎さんの短編集「鉄道員」(集英社文庫)から表題作を読んだ。

☆ 高倉健さん主演の映画「鉄道員」(1999年)は以前見たが、ほぼ原作と同じだった。

☆ 機関車の釜炊きから初めて駅長になった佐藤乙松(高倉健)。退職の年、勤務している路線の廃線が決まる。愚直に鉄道員として生きてきた日々が作品から伝わってくる。

☆ ある夜、彼のもとを少女が訪れる。それは、本当に幼くして亡くしたわが子だったのだろうか。それとも死を前にした幻覚だったのだろうか。

☆ 最後はしんみりと終わるが、仲間たちの姿が乙松のこれまでの生きざまを偲ばせる。

☆ 浅田さんの文章は心地よい。
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「透明感ありすぎて・・・」

2018-03-21 19:20:30 | Weblog
☆ 毎日暗いニュースばかりなので何か明るいニュースはないものかとググっていたら、ロバート秋山さんの「なりきり」シリーズに行きついた。

☆ 「清純派女優 藤原采 17歳」

☆ 正視した顔。髪が風に吹かれて顔にかかる。眼からほほにかけて17歳の若さと素朴さが漂う。それっぽく見えるからすごい。

☆ 動画も見た。映画のプロモーションのようだ。よくできてるね。
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西田幾多郎の評伝

2018-03-21 16:28:08 | Weblog
☆ 紀伊国屋書店の「学問と情熱」シリーズから「西田幾多郎」を観た。

☆ 西田幾多郎と言えば西洋哲学の基礎の上に独自の思想を打ち立てた哲学者として知られている。京都帝国大学の教壇に立ちその弟子たちを含めて京都学派と呼ばれる。

☆ 西田と言えば「善の研究」が有名だ。今手元に岩波文庫版がある。どうやら1987年に1度読んだようだ。「純粋経験」など難しい概念だけれど、第四編の「宗教」は面白かった。

☆ 個人の生死を越えたより大なるもの。西田は宇宙の根本を「神」とする。自己と「神」との合一、「神」に帰命することによる自己否定と「神」において真の自己を見出すというあたり興味深かった。

☆ 「意識はすべて統一に由りて成立するのである。而してこの統一というのは、小は各個人の日々の意識間の統一より、大は総ての人の意識を結合する宇宙的意思統一に達するのである。」(223頁)

☆ 「神は宇宙の統一者であり宇宙は神の表現である」(225頁)

☆ 「第五章 知と愛」では、「我々が花を愛するのは自分が花と一致するのである。月を愛するのは月に一致するのである」「物を知るにはこれを愛せねばならず、物を愛するのはこれを知らねばならぬ」(243頁)

☆ このあたりは、有島武郎の「惜しみなく愛は奪う」(新潮文庫 66頁)や倉田百三の「愛と認識の出発」(角川文庫 94頁)にも共通している。

☆ 私が大学時代、年配の指導教官から「善の研究」の「善」は「禅」に通じると教わった。西田の思索は「禅」を通した自己体験が根底にあるのかも知れない。更に分析すれば「唯識」まで行くのだろうか。

☆ 「自覚」「場所」という言葉にも特別な思いがあるようだ。「場所」というのはハイデガーの「ダーザイン(現存在」のようなものだろうか。

☆ ビデオでは西田の生い立ちや家族の紹介もあった。石川県に生まれ、師範学校から四高に進んだものの、態度不良で退学となり、21歳で東京帝国大学に入学。その後故郷の中学教員、学習院大学の先生を経て、京都帝国大学に職を得る。子宝に恵まれるが多くを若くして失い、妻も失う。生家の没落、生活の困窮も経験する。そうした人生の悲哀がまた彼の思想を形成したと表現されていた。戦中は国策への関与を求められ、学者として苦悩する様子が描かれていた。京都学派は危険思想とみなされていたという。

☆ とても勉強になった。
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「未来世紀ブラジル」

2018-03-21 01:02:12 | Weblog
☆ 映画「未来世紀ブラジル」(1985年)を観た。20世紀のある国での管理社会を風刺した作品だった。

☆ 近未来でありながら実にアナログ。ステンレスのような磨かれた空間があると思うと、廃ビルの一角のような空間がある。格差社会の象徴かも知れないし、過去と未来の接点かも知れない。

☆ ダクトに埋め尽くされた部屋。どこでもドアのような空間構成。道路沿いの看板の列。奇妙に広々とした空間は、発電所の中だろうか。「X-MEN」にもあったような空間だ。美容整形、葬儀場。タイプライターにブラウン管がついたような端末。確かに1980年代と言えばまだワープロが主流だった時代だ。パソコンが普及し始めた時期だった。

☆ ストーリ自体は退屈に感じたが、随所に斬新は発想が見られた。
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