じゅくせんのつぶやき

日々の生活の中で感じた事をつぶやきます。

高橋三千綱「九月の空」

2024-11-12 20:59:43 | Weblog

★ 総選挙で躍進した野党党首の不倫問題。身から出た錆だが、まさに天国から地獄。何か裏があるような・・・。何はともあれ、もったいないね。

★ 打って変わって青春小説。今日は、高橋三千綱さんの「九月の空」(河出書房新社)から表題作を読んだ。第79回(1978年)芥川賞受賞作。

★ 政治的との関りも男女の濃厚な性描写もない。剣道に打ち込むちょっとやんちゃな高校生と彼の同級生たちが描かれていた。

★ 剣道の試合の描写が詳しい。私はあまり興味がないのでさっと読んだが、経験のある人が読めば引き込まれるのかも知れない。

★ 第75回芥川賞(1975年)村上龍「限りなく透明に近いブルー」、第77回(1976年)池田満寿夫「エーゲ海に捧ぐ」とセクシャルで個性的な作品が受賞したから、その反動の爽やかさだろうか。

★ この後、70年代後半から80年代にかけて、受賞作は地味になった気がする。

コメント

田中康夫「なんとなく、クリスタル」

2024-11-11 13:49:10 | Weblog

★ 時代が変われば人も変わる。生き方も変わる。今日は、田中康夫さんの「なんとなく、クリスタル」(河出書房新社)を読んだ。1980年度「文藝賞」受賞作で、単行本は1981年に発行されている。初版が1月20日。私が持っているのが2月27日発行の24版だから、よく売れたようだ。

★ 主人公はアッパーミドル階層の女子学生。同じくアッパーミドル階層の男子学生と同棲している。女子学生はモデルとして、男子学生はミュージシャンとして平均的なサラリーマン以上の収入を得ている。

★ 稼いだ金で、ブランドを身に付け、昼に夜にとリッチに遊んでいる。二人はお互いに拘束しない。浮気も認めている。それは、そんなことではお互いに離れらないという自信の証なのか。

★ カタカナと引用符の多い文体に当時は驚いた。ファッション誌や東京のガイドブックを読むような感じだった。

★ ストーリーは、生活に困らないリッチな学生たちが、かわいらしい恋愛ごっこをしているようなものだが、表現は川上宗薫、宇能鴻一郎を思わせる過激さだ。

★ 60年代、70年代の学生とは全く違う人びと。当時はまだわからなかったが、作者は敏感にバブルの前兆を感じていたのかも知れない。クリスタルのように輝く80年代を。

コメント

峰原緑子「風のけはい」

2024-11-10 15:14:42 | Weblog

★ 期末テスト前の土日特訓。最近は学校のクラブではなくて、外部のクラブチームでサッカーやら野球やらをやっている子が多い。今日は今季最後のサッカーの試合があるとかで、受講者は4人だけ。

★ 働き方改革で学校のクラブ活動は地域に移行という動き。これはこれでご時勢なのだが、外部のクラブチームはどうしても実力主義になってしまう。ただ好きだけでは参加しづらい雰囲気が漂う。また、学校とは別のスケジュールで動いているので、試験前でも休みにくそうだ。

★ さて今日は、峰原緑子さんの「風のけはい」(文藝春秋)から表題作を読んだ。第52回文學界新人賞(1981年)受賞作。著者が19歳の時の作品。芥川賞の候補作にもなったようだが、高齢のお歴々には受け入れられなかったようだ。

★ 主人公は女子中学生。父母兄と4人ぐらいのようだが、今まさに母親が出産しようとしている。13歳年下の家族の誕生に彼女の心は複雑に揺れる。

★ 詳しく調べてはいないが、1980年前後の新人賞は10代が多く受賞したように思う。

コメント

村上龍「69」

2024-11-09 21:46:41 | Weblog

★ 単調な日が続く。中学校の期末テストまであと2週間。期末テストが終われば冬期講座。そして年が明ければ受験本番だ。1年などほんとに「あっ」という間だ。

★ 今日は村上龍さんの自伝的な小説「69 sixty nine」(集英社)を読んだ。1984年から85年にかけて書かれた作品で、初版は1987年になっている。私は1988年2月13日に1度読み終えたと巻末に記している。

★ 主人公は日本の西端、佐世保の進学校に通う高校生。東京など大都市を中心に吹き荒れた学生たちの反乱は、炭鉱不況に苦しむこの地方にも影響を与えていた。

★ 主人公たちは17歳。特に政治に関心があるわけではないが、仲間たちが集まって学校の「バリ封(バリケード封鎖)」を実行する。米軍基地のある佐世保という土地柄はあるものの、彼らの行動は学校というシステム、体罰が横行する強権的な教師たちに対するうっぷん晴らしのようなものだった。

★ 進学校始まって以来の不祥事ということで主人公たちは無期限の停学謹慎処分。停学が解除された後、今度は「フェスティバル」開催に向けて動き出す。

★ 印象的なのはとにかく彼らは元気だ。動機や是非はともかく、主体的で行動的だ。与えられた道を歩むことに違和感を感じ、自ら道を拓こうとしている。レールの上を歩む方がずっと楽なのに、それを拒否するグツグツとした気持ちが伝わってきた。

★ 今は、社会も学校も教師たちも変わった。体罰などもってのほか。強く指導しようものならパワハラと批判される。多様性や個性が重んじられるようになった。一方で、押さえつけが少なくなった分、反発するパワーも弱くなった気がする。社会が安定した証で、良いことなのであろうが。

コメント

中沢けい「海を感じる時」

2024-11-08 15:19:08 | Weblog

★ 今日は中沢けいさんの「海を感じる時」(講談社)を読んだ。この作品も学生時代に一度読んでるので再読。当時18歳の大学1年生が書いた作品というので評判になった。「子宮感覚」というフレーズが印象に残っている。

★ 怒涛の学園紛争が終わり、「無気力、無責任。無感動」と呼ばれた時代。主人公の女子高校生は部室で1年上の先輩から「口づけ」したいといわれ、好きでもないのに応じてしまう。

★ しかしそれが彼女の性を目覚めさせてしまったようだ。体験が深まるにつれ、彼女は男を追うようになる。男は彼女のことを好きだったわけではない。追われれば逃げる。卑怯と言えば卑怯だが、会えば彼女に触れてしまう。性欲だけを求めることで自己嫌悪に陥り、ますます彼女から離れようとする。

★ 物語は、彼女が置かれている家庭環境、特に母親との関係に言及する。湊かなえさんの小説に「母性」というのがあるが、母と娘の関係もなかなか難しそうだ。

★ 主人公は高校を卒業し上京する。どうやら妊娠をしたようだ。男はあきらめたのか、彼女と同棲を始める物語はそのあたりで終わる。

★ 年をとってから読むとなんともかわいらしい物語だ。現実の世界はもっとどろどろしているし、もっと理不尽だ。若い頃の純粋さがうらやましくもある。しかし、若い人は若い人なりに深刻に悩んでいるんだね。私もその頃を思い返す。

★ 「海は見るものではなく、感じるものだ」(147頁)。「海の水には。ねばりけがあるようだ。タールの海だ。私の下腹にもタールの海がある。・・・世界中の女たちの生理の血をあつめたらばこんな暗い海ができるだろう」(151-152頁)

コメント

村上春樹「風の歌を聴け」

2024-11-06 21:33:18 | Weblog

★ 村上春樹さんの「風の歌を聴け」(講談社)を久しぶりに読んだ。1979年7月25日発行の初版。読書などそれほど好きではなかった私がなぜこの本を読み始めたのかは思い出せない。ただ、この本に衝撃を受け、新人賞の類を読むようになった。

★ 「物語は1970年8月8日に始まり、18日後、つまり同じ年の8月26日に終る」

★ 主人公の男性は東京の大学に通っているが、夏休みで山と海に挟まれた町に帰省している。小さい町だが住んでいる人は結構裕福そうだ。彼は友人の「鼠」と馴染みの「ジェイズ・バー」でビールを飲んで時間をつぶしている。

★ わずか18日の間だが、ある女性と出会い、「鼠」の相談に乗り、それぞれ軽口を言い合いながらなかなか哲学的な対話をしている。

★ この作品を初めて読んだ時、今までの小説とは違う感じを受けた。テンポの良い会話。かみ合っているようでズレているようで、それでいてその場の雰囲気が伝わってくる。作品のテーマが文体で表現されているようだった。

★ 「何かを持っているやつはいつか失くすんじゃないかとビクついているし、何も持っていないやつは永遠に何も持てないんじゃないかと心配している。みんな同じさ」(150頁)

★ 「あらゆるものは通りすぎる。誰にもそれを捉えることはできない。僕たちはそんな風にして生きている」(190頁)

★ 学園紛争真っ只中。主人公たちもその影響を受けている。ただ闘志となって「革命」に走るわけではなく、静かな諦観で世の中の移り変わりを見ている。

★ 混迷の時代にもいろいりな生き方があったんだなぁと思った。

☆ アメリカの大統領選はトランプ氏の返り咲きに終わりそうだ。これからの4年間、世界はどのように動いていくのだろう。日本への影響も少なからずありそうだ。安倍政治再びで、「高市政権」ができるかも。 

コメント

高野和明「13階段」

2024-11-05 18:21:51 | Weblog

★ 今日は第47回江戸川乱歩賞受賞作、高野和明さんの「13階段」(講談社文庫)を読み終えた。

★ 夫婦を殺し金品を奪った強盗殺人事件。近くでバイク事故を起こした樹原という青年が実行犯として逮捕された。この事案で争点となったのは、実行犯が事故のせいで記憶があいまいになってしまったこと。そして奪ったとされる通帳や凶器が発見されなかったこと。

★ とはいえ、状況証拠によって、死刑判決が下され、あとは執行を待つばかりとなった。

★ そんな折、ある匿名の人物から弁護士が依頼を受ける。その樹原は無罪であり、冤罪であるというのだ。弁護士は依頼を引き受け、刑務官を退職するという男・南郷を雇う。

★ 彼はかつて職務上とはいえ2人の人間の死刑を執行しており、それが心の傷になっている。冤罪ならば正さねばならない。かつて担当した青年・純一(傷害致死の罪で2年間の判決を受けたが仮釈放になった)と共に事件の真相に迫る。

★ 事件は二転三転。果たして樹原は冤罪なのか。それにもかかわらず死刑は執行されてしまうのか。

★ 死刑制度の在り方についても考えさせられた。

コメント

三田誠広「僕って何」

2024-11-04 16:53:53 | Weblog

★ 長閑な秋晴れ。こんな日が続けばよいのだが。

★ さて今日は、三田誠広さんの「僕って何」(河出書房新社)を読んだ。1977年の作品で、学生時代に一度読んでいる。

★ 大学進学のため田舎から上京したそこそこ旧家の青年。温かい家族に過保護なほどに育てられ、家族から(特に母親から)の独立に期待を寄せていた。しかし、そんな無垢な彼が入学したのは各セクトが入り乱れ内ゲバが絶えない大学だった。

★ 上京から1月余り。友達もできず都会の孤独を味わっていた青年。ふとあるセクトの学生集会を通り過ぎた時、声をかけられた。田舎では受験勉強で精一杯。政治運動やセクトのことなど全く関心も知識もなかった彼だが、孤独に耐えられず、初のデモで感じた高揚感に刺激され、「活動」に参加するようになった。

★ 彼の何に魅かれたのか、「上司」にあたる女性リーダーと同棲も始める。

★ しかし、何らかの思いがあってセクトに入ったわけではない。セクト間の暴力を目にし、それに自分なりの理由を見いだせない彼は、セクトを辞めると告げる。セクトから離れることは女性リーダーの彼女との関係も終わるのか。

★ セクトを離れた彼は同級生に「オルグ」され全共闘に参加しようとする。一般学生による運動というのに魅かれたのだが、蓋を開けてみれば、白や赤や青などと色分けされたヘルメットをかぶった集団が主導権を争うセクト間の覇権争い。結局彼はどの色にも染まれず、年上の彼女(女性リーダー)と内ゲバのニュースを見て上京した母親という二人の女性に挟まれて、眠りにつく場面で物語は終わる。

★ どのセクトにもなじめず、それゆえ孤立感を感じる「僕」に共感する。彼は結局、プチブルとかマザコンなのかも知れないが、教条主義に毒され、上位下達の軍隊のような組織で、暴力も是とするような異常な状況の中では、この「僕」がまともに見える。

★ ヘルメットの色で、「あぁ、あのセクトか」などと想定しながら読むのも面白い。女子学生が多く一見平和主義のA派は「民青」だね。文学部自治会を牛耳っている白ヘル(B派)は「中核派」か。じゃあ同じ白ヘル(C派)は「革マル派」かな。赤ヘル(D派)は「ブント(共産同)」かな。青ヘル(E派)は「社青同」かな。

★ 研究室の指導教官は学園紛争の真っ只中の闘志だったから、「あの時代、あんな青年がいたなんて想像もできない」と言っていたが、その後の時代を生きた私にとっては、面白い作品だった。

★ 山藤章二さんの装幀も素敵だ。

コメント

柴田翔「されどわれらが日々ー」

2024-11-03 20:23:30 | Weblog

★ 1980年代の恋愛小説が村上春樹さんの「ノルウェイの森」だとすれば、1960年代は柴田翔さんの「されどわれらが日々ー」であろう。

★ 1955年、日本共産党が第六回全国協議会(六全協)で左翼冒険主義を批判し、軍事方針が放棄された時代。党の無謬性を信じ、地下に潜行し山村工作に動いていた人々に衝撃が走る。今まで正しいと信じていた教義に裏切られたような、驚愕と混乱と不安が一気に襲ったような事態だったようだ。

★ こうした時代背景の中で物語は進む。主人公の男性は東京大学で修士論文を書いている。この男性自体は政治とは深く関わっていない。他県での就職が決まり、これを機会に、知り合いの勧めで幼なじみの女性と婚約する。それからの2年、二人の恋愛とその関係が破綻するまでの日々が描かれている。

★ 全体の多くが手紙の引用という形をとっている。まずは長文の手紙に驚く。昔の人は随分と理屈っぽく、そして筆まめであったと思う。(自分のことをわかって欲しいという欲求が強かったのか)

★ なぜ人は伴侶を求めるのか。結婚によって孤独な心は満たされるのか。どれほど近づいても理解しあえない、ハリネズミのようにむしろ傷ついてしまう。純粋に、真剣に考えれば考えるほど深みにはまっていく。

★ 青春の苦悩、もっと大きく言えば生きることの苦悩を感じた。

コメント

島田雅彦「優しいサヨクのための嬉遊曲」

2024-11-02 19:28:43 | Weblog

★ 久しぶりの大雨警報。一気に季節が進むのだろうか。

★ 今週も中学3年生の土日特訓。授業の合間に島田雅彦さんの「優しいサヨクのための嬉遊曲」(福武文庫)を読んだ。福武文庫というのが懐かしい。作品が発表されたのが「海燕」だという。そんな文芸誌もあったなぁ。

★ さて、冷戦、イデオロギー対立の中で、60年代から70年前半まで吹き荒れた学園紛争。80年代になるとそうした動きも下火になり、かつての「左翼」も「サヨク」へとずいぶんとナヨってしまった。(「ナヨる」なんて今では使わないか)

★ そんな80年代、大学では細々と「サヨク」運動が行われていた。といっても、もはや学生たちは食うや食わずの極貧ではなく、いわゆる中流出身の子どもたち。切羽詰まった「革命」運動ではなく、楽しく学生生活を送るためのサークル活動という感じ。

★ 彼らはそれなりに「運動」をしながら、恋愛にカネ稼ぎにと励んでいる。政治ももはやファッション化する時代。「運動」も恋愛も「まあいいか」とぬるま湯的に納得してしまうのがというのが印象的だった。

★ 世の中が豊かになり、「やさしい世代」の学園生活が描かれていた。作者の島田さんは1961年生まれ。私とほぼ同世代なので、時代の雰囲気がよく伝わってきた。

★ 「ジャパン・アズ・ナンバーワン」といわれていた時代。戦後日本の頂点の時期だったのかもしれない。

コメント (2)