数十年前は大学受験に親が付いてくるなんて。ところが数年前からは男の子の受験にまで親が。その頃の親がスライドか、最近は入社式にまで。会社側の方も親に気を使って何と席まで。その絆の強さから何かあったら泣きついて何と親が会社に辞表を。落胆して相談に来る親に「親は必ず先に死にますよ」と。
「この親にしてこの子あり」という言葉が。中には何でこんな良い子が育ったかというケースも。どうもこの世はその人に欠けているものを補ってくれるように縁が流れているようで。「負うた子に教えられて浅瀬を渡る」の言葉もその例の1つ。但し、その縁に出会って気付いて活かせるかは本人次第だけど。
龍樹菩薩が「この世は縁で繋がってないものは何もない。偶然という言葉は人間が作った言葉」と。確かに「この道を通らなかったら。1日ずれていたら」と「もし」を使いたくなる縁は多数。なのに今日やらねば為らぬ仕事を先に延ばし「だってしょうがないじゃない」と開き直るのは人間だけ。今を大事に。