本日で一周忌を迎え、久しぶりにこの件について書きます。
書いていなかったのは、やはりこれまでにこの事件に関することで一定の結論なり見通しなりが明確に出ていなかったことが大きいでしょう。
しかしながら、今日のこの日のために(そんなにたいしたことではないですが)準備を続け、とりあえず、この日にこの場所にいることを選びました。
理由は、やはり気になるから。
今日は現場にいないといけない義務感みたいなものがありました。
でも、そこにいるだけでいいだろうと。
カメラは持って行くつもりでしたが、撮るかどうかはわからない、と。
理由は、やはり気になるから。
今日は現場にいないといけない義務感みたいなものがありました。
でも、そこにいるだけでいいだろうと。
カメラは持って行くつもりでしたが、撮るかどうかはわからない、と。
そして、何かが起こるかもしれないが、それは見届けておくだけにしよう、と。
そんなつもりで現場に朝7時前に到着。
そんなつもりで現場に朝7時前に到着。
安倍氏が倒れた場所近くにできている花壇に多数の献花が既にあり、それにまず手を合わせました。
そして、いきなり冒頭の写真を。
そこから、結局ずっと気になることは撮り続けました。
どれくらいの人が献花に訪れ、どのような関係者の方々が来られたかは報道にお任せするとして。
今日、共同通信社さんの取材を受ける場面がありました。
そこで聞かれた言葉の中に「分断」という言葉が出てきました。
今日僕は漠然とした考えで現場に来ましたが、共同通信社さんの記者さんの言葉に少し考えさせられました。
確かにこの事件の背景には「分断」があり、その中の一端が原因となった事件だとも思いました。
今、この世界にはいろいろな種類の「分断」があり、様々な亀裂が存在しています。それは「貧富」であり、「思想」であり、「宗教」であり、ほかにもいろいろ。
そして、今日もいろいろな「分断」の表層を現場で観た想いでした。
ある意味、今の日本の「分断」の縮図。
今日、現場ではいろいろなことがありました。
特に何らかの主義主張を訴える人たちもきてビラを撒いたり、大きな声を出したり、プラカードを掲げたりする人たちもいました。
そのような人達は、その「分断」を何とかしようと自分なりに動いている、ということなのかもしれません。
僕はいくら数々の疑惑があった安倍氏でも殺されるべきではなかった、との思いがあります。
そういう意味では今日は静かに悼む日であり、主義主張は騒ぐほどやるべきではないとも思っていましたが、これだけの注目される事件だったこともあり、現場にはいろいろな人々が訪れたということでしょう。
しかしながら、そのような何とかしようとする動きがある中で、冒頭に書きましたが、この一年でこの事件にまつわる何かについて一定の結論や見通しがついたものがあるのか?
共同通信社さんの記者の方にも伝えましたが、せいぜい事件当日の警備の件で警察の中で処分があっただけで、
例えば、統一教会に解散命令請求は未だ出ていませんし、政治家と統一教会の関係についてもグレーなままです。
また安倍氏の疑惑についても、森友・加計問題や桜を見る会、逮捕状執行させなかった件、など、何も真実が明らかにされていません。
マスコミも本来やるべき追及もされていません。
マスコミも本来やるべき追及もされていません。
今後このままでは、「分断」はさらに広がってしまうのではないか?との懸念も記者さんには伝えました。
そして、その「分断」の広がりはやがて戦争への原動力になってしまいそうな気がして仕方がありません。
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