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追悼・西田敏行 「もしもピアノが弾けたなら」 =思い出す音楽 その195=

2024年10月20日 23時30分18秒 | 音楽

公式の動画ではございませんので、後日観れなくなっている可能性があります。ご了承ください。
テレビ番組の動画は特に後日観れなくなる傾向が強いですが、この動画は当時の日本テレビ系「ザ・トップテン」のものだと思われます。今回は当時の雰囲気も感じられるかと思い、こちらの動画にしました。
ちなみに、動画でもありますが「ザ・トップテン」恒例の初登場の記念写真撮影でおもしろい逸話があるようです。(詳しくは、Wikipediaへ)


今回は急遽予定を変更して、先日お亡くなりになられた西田敏行さんの「もしもピアノが弾けたなら」です。
リリースが、1981年4月。作詞が阿久悠さん、作曲が坂田晃一さんです。

僕は当時小学校4年生で、テレビで西田さんが歌っているのを観て、「俳優さんやのに、歌も歌いはるんや」と思っていました。それも良い曲で良い声。
それまでは、お相撲さんが歌を歌っているのは知っていたものの、子供でしたから、俳優さんは俳優、歌手は歌手だろうと固定観念があったようでした。

その後の西田さんで記憶にあるのは、主演された映画「植村直己物語」で、これは中学生の時に学校の映画鑑賞会で観ました。
冒険家・植村直己のドキュメンタリー映画だったと思いますが、やたらと西田さんの人間味あふれる演技と妻役をされた倍賞千恵子さんとのやり取りが強く印象に残っています。
あと個人的に強く印象に残っているのは、一般的にはマイナーかもしれませんが、NHK朝ドラの「瞳」です。
主演されたのは榮倉奈々さんで基本的にはEXILE MAKIDAIこと眞木大輔さんが出てくるほどにダンスを取り上げながらも、ドラマの主題は東京都の里親制度である「養育家庭制度」のことを取り上げられていて、西田さんは主人公の祖父役でその養育家庭のひとつとして3人の里子の養育をしている役柄でした。
その設定自体も西田さんにははまり役だったと思いますし、実際に確かにあの役は西田さんしかできなかった、ドラマの主題としても重要な役だったと思います。
出しゃばらないながらも、地味ながらも重要な役柄を完璧にそれも自然にこなしていた、西田敏行さん。
最後になりましたが、ご冥福をお祈りいたします。

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