昨夜は、このブログの文章ではなく、明日、会社で行われる会議でのプレゼン(?)の文章を考えていた。
文章を読むのは、嫌い、遅い、のだが、
実は、中学の頃から、文章を書くのは好きで、そのきっかけというのが、小学校の6年生終盤であった「創作文」の授業だった。
以降、僕は事あるごとに文章を書き、自分の思ったこと、考えたこと、を単純に、書き残していった。
高校の頃には、中国の作家、魯迅の「故郷」とクラスのある女の子をモチーフに風刺コメディ(最悪。)みたいな、散文集を10部ほど作ったり、図書委員をやっていた時に、年に1回だけ出る文集に、くだらーん小説を寄稿したりしていた。
社会人になってからは、そんな機会も減っていたが、ネットをやり始めてからは、間もなく、ホームページを立ち上げ、自分の文章を公開していたりした。(一部は、「徒然随想。」に収録。)
そんな中、このブログというものの出現によって、その機会(特に公開する機会)は、莫大に増え、それに伴って、もちろん書く機会も増え、そのせいか、文章上での言い回しなどは、強制的に書くことがあっても、あまり苦に感じなくなった。
そして、今回もあまり苦に感じることはなく、その材料さえ整えば、結構、あっさりと最後まで綴ることができた。
今日、とりあえず、昨夜、作った「たたき台」を専務に見せ、意見をもらった。
特に、文章の書き方について指摘されるようなことはなく、内容の認識などについての確認がほとんどだった。
実は、この作業、仕事場なのに、「学校みたいなことして、めんどくさいなぁ。」と正直思っていたのだが、今日の専務とのやり取りの中で、文章にしてあらためて普段の業務を検証し再認識する、その意義の重要性(特に僕みたいな人間には)を感じて目から鱗だった。
と同時に、このブログとかも、単に自分の「自己顕示欲」の塊程度にしか思っていなかったが、自分の普段のことを文章にし、あらためて検証、再認識する(orしてしまう? - こう書くと、すんげー大げさだが)ことに、少なからず意義があるのではないか?と思った次第でした(そんなこと考えてブログやってるヤツなんてσ(`ε´) オレぐらいか?)
ま、もちろん、ブログの文章と、仕事で書く文章は違うと思うけど。
この記事、書いたあとで、ろぷさんが喰いついてくるかな?と思ったら、やっぱり(^_^)
>ひとって(僕も含めて、だけど)自分のことでもぜんぜん見ていないものなんですね。
確かに。(僕も)
>いやいや。
>そんなことを考えているのは junziro さんだけではありませんのでご安心あれ。
ろぷさんに言われると説得力あるので、本当に安心しました。
僕も自分の小ささを感じて→ため息。。。は、多々あります。。。
大物作家がよく自殺に追い込まれるのも、見たくもない自分が見えてしまってどうしようもなくなるからなんだとか。「書く」や「見る」というのは意外と怖いことなんですね。
大作家と比べるのもおこがましいけれど、僕も小説を書いているとき、どれだけ自分の小ささを認識することか…… もうため息出まくりですよ(笑)。
いやいや。
そんなことを考えているのは junziro さんだけではありませんのでご安心あれ。