山浦清美のお気楽トーク

省エネ、農業、飛行機、ボウリングのことなどテーマ限定なしのお気楽トークができればと思っております。

英会話教育に関する違和感

2012-06-04 | うんちく・小ネタ

 日本人の英会話能力の低さが国際化を阻害している要因と言われております。そこで早期に英語教育を開始する必要性が叫ばれ、小学校での英語教育が開始されました。あるいは正確な発音を身に着けるにはと乳幼児に対する英会話教室なるものが行われているとのことです。

 果たして、その成果や如何に。彼らが大人になった暁にはさぞかし流暢な英語を話し、国際的な桧舞台で活躍される方が続出するものと思いたいのですが・・・。

 私が英語を学び始めたのは当然のこととして中学校からです。当時は英会話の授業などといった気が効いたものは行われておりませんでした。漢文の素読のように先生のリピート・アフター・ミーの掛け声よろしく、カタカナ英語で読み上げるといった感じでしょうか。高校は受験英語そのものです。今のセンター試験のようなリスニングの科目はありませんでしたから、ヒアリングなどの機会は滅多にありませんでした。大学時代は、ドイツ語が第一外国語で、英語が第二外国語でした。英語は米国の大学院に留学した経験のある講師から、短時間のリスニング教育を受けました。英国人の講師の授業は、一度しか出席しなかったため見事単位を落としてしまいました。専門教育では、英語の専門書の輪講や卒業研究で英語で書かれた論文を読んだことくらいでしょうか。これが学生時代の英語学習の全てです。外国語学部などへ進まない限り、似たり寄ったりではないかと思います。

 このような教育方法だから日本人の英会話能力が低いのだと言わんばかりに、私の子供達の世代では英会話の授業が多くなり、センター試験でリスニングが課されるようになりました。しかし、英会話能力がアップしたという声は、ついぞ聞こえてきません。それどころかますます低下してきたと言わんばかりです。挙句の果てが、小学校での英語教育の開始です。これで上手く行かなかったら、英語教育界はどのように責任をとるおつもりなのでしょうか。

 日本人は、幕末から明治維新にかけて、多くのことを外国から学んできました。当時は、外国語に堪能な人材は皆無に近い状況であったはずです。維新後は、多くの方々が欧米に留学して、多くの労苦を経て先進的な知識を日本にもたらしました。彼らの多くは、若かったとは言え、小学校から外国語を学んだことは無かったでしょう。しかしながら、しっかりとした知識を身につけ、帰国した後には日本の近代化の礎をなしたのです。

 要は何を学ぶかといった必要性が重要であって、語学力は後からついて来るものであろうと考えます。逆に言えば、いくら英会話能力が高かろうとも話す内容を持ち合わせなければ、何の役にも立ちません。

 先に書きましたように、英会話を乳幼児期に始める必要性が叫ばれております。曰く、"l"と"r"の発音が区別できない”th"の発音ができないと困るなどなど。それが、そんなに重要なことなんでしょうか。会話ですから、それ位の発音の違いで、大きな聞き取り違いをするでしょうか。外国人が話すたどたどしい日本語を理解出来ない日本人がいますか。例え、誤解されてもいくらでも訂正できるではないですか。それに、公用語に英語を使っている国がありますが、とても流暢とはいえないような英語に聞こえてきます。はたまた、多くの中国人、韓国人、その他の外国人が話している英語も同様です。しかし、堂々と話しています。そして、ちゃんと通じています。この現実をどのように考えれば良いのでしょうか。

 また、現在英語をバリバリ使いこなして活躍されている方々で、幼少期から英語を学んだ方が如何ほどいらっしゃるのでしょうか。または、幼少期から学ばなければならないとお考えの方が如何ほどいらっしゃるのでしょうか。ご意見を頂戴したいものです。

 発音などは、それは綺麗で正確が良いに決まっています。しかし、それが全てではないことは明らかなことだと思います。

 かく言う私も英語は苦手です。英語を使う機会は滅多にありませんが、それでも何とかコミュニケーション出来てきました。ただ一つ例外があります。それは外国人の子供相手の会話です。特に小学校低学年位までの子供に対しては、殆どお手上げでした。それこそ正確な発音と言いまわしが要求されるからでしょう。

 要は、英語はコミュニケーションの道具です。相手とコミュニケーションしたいといった欲求が強ければ、自ずと上達するものであると考えます。ですから、現在の英会話に関する教育は何となく本質を見誤っているのではないかと思います。