大飯原発の再稼動が決定され、即座に起動作業が始まっております。野田首相の会見では、安全性は確認されていると主張しているものの、安全対策に今後数年かかるものもある、いわば限定的な安全対策です。ましてや、福島のようなというこれも限定的な原因を想定した場合の基準です。新しい知見が出てきた場合には、それを基準に盛り込むということですが、それこそ泥縄的対処ではないでしょうか。これで安全性が確保されていると考える国民が一体如何ほどいるのでしょうか。停電するのは困るし、電気料金が上がるもの嫌だ。不安だけれども、しょうがないのかなといったことが大半なのではないでしょうか?
文藝春秋7月号に掲載されていた「再稼動原発がテロに制圧される日」に強い衝撃を受けました。それは内容そのものは勿論ですが、元海上自衛隊・特別警備隊先任小隊長という実際家の言葉の持つ重みに対してです。頭の中では、あれこれ想像することはできますが、それはあくまでも想像の域を出ません。やはり、現場で培った知見のリアリティーに圧倒されますし、物凄い説得力があります。このような現場力こそが、修羅場で本当の力となるということなのでしょう。
福島原発事故に際しても、学者は「ああしたら良い。」、「こうした方が良い。」などと百家争鳴しておりましたが、現実に事故を押さえ込んだのは現場の人間です。それも命がけで。
学者の存在を否定しているのではありません。もっと 学者と現場の人間が協調すべきだと考えているのです。今回の再稼動に関する安全性の基準作成において、いわゆる学者といわれている方々が関与されていると思われます。しかし、学者は現場の人間ではありません。学者の中にも現場に詳しい方もいらっしゃいますが、少なからず現場知識の乏しい方々が多いでしょう。安全性を高めるためには、学者だけでなく、技術者等の現場の人間の参加が不可欠だと考えます。加えて、原子力以外の分野の人間も参加すべきでしょう。広い視野で議論することによって、想定外などといった言い訳をしなくて済むようになります。
二度と繰り返してはいけない事柄に対しては、ありとあらゆる人間の英知を結集する必要があると考えます。中途半端な妥協が良い結果をもたらすとは思えません。ましてや経済的利便性と天秤にかけることは許されないと思います。