平成22年2月16日(火)
連日強風が吹き荒れ、毎日 とても肌寒い日が続いています。
バンクーバーでは雪が降らず雨で、ニューヨークでは大雪なのだそうです。
おめでとうございます、日本初メダル!
五輪スピード男子五百 長島圭一郎さん「銀」、加藤条治さんは「銅」
注目のスピードスケートの競技が終わりました。
バンクーバー五輪のスピードスケート男子五百メートルで
長島圭一郎選手(27)と加藤条治選手(25)が15日(日本時間16日)、
ダブルでメダルを獲得。
長島圭一郎さん(1982年4月20日生まれ)は、北海道中川郡池田町利別出身。
身長171cm、血液型B型。
実家は畜産業を営み、2人の姉について3歳の時からスケートを始めた。
中学時代はスケート部の他に野球部にも所属。ポジションは三塁手。
高校でも野球を続けたかったが、野球での推薦入学が出来ずスケートにした。
池田高校3年時にインターハイ1000mで優勝。
早くから名門大学のスケート部から誘いがあったが、
自らが希望する日本大学に進学。学生氷上選手権で活躍。
2004年のユニバーシアードインスブルック大会500mで優勝。
2005年日本大学卒業後、日本電産サンキョーに入社。
全日本スプリント選手権総合優勝を飾った。
2006年2月トリノオリンピックに出場したが、注目度の高かった
清水宏保、加藤条治、日本人最高の4位入賞を果たした及川佑の影に隠れ、
500mは13位に終わる。1000mは32位。
2006年10月全日本スピードスケート距離別選手権大会で500mと1000mの2冠達成。
2006年11月10日W杯開幕戦(オランダ)で500m35秒10を記録し、W杯自身初優勝。
同12日にも優勝し、大会2連覇。
2010年2月15日バンクーバーオリンピック男子500mで銀メダル獲得。
2010年2月17日同じスピードスケート男子1000mでは、
スタートでのトラブルに2度も巻き込まれ、ペースを乱し37位と惨敗。
同じくトリノオリンピックに出場した及川佑(びっくりドンキー所属)は、
出身高校の北海道池田高等学校の先輩に当たる。
高校時代はスケート選手の中では細身。
しかしローラースケートの練習を見た当時のスケート部の監督は、
その滑りを見て衝撃を受けたという。
当時から滑らかな動きで、縦から見ても横から見ても素晴らしいバランスを持ち、
天才だと感じた。
もう一人の顧問には
「長島はいじるな。凄いものをもっているから」
と、フォームの指導をさせなかった程。
銅の加藤条治(1985年2月6日生まれ)さんは、四人兄弟の末っ子。
身長:165cm 体重:65kg
北海道や長野県の選手が多数を占めるスピードスケート界では珍しい
山形県山形市出身。兄たちの影響でショートトラックからスケートを始めた。
その後スピードに転向。氷上でのバランス感覚に優れ、「カーブを駆け抜ける」
とまで言われる世界屈指のコーナーワークを可能にしている。
山形中央高時代、インターハイ男子500mで三連覇を達成。
日本人選手として史上初めて高校3年時にスピードスケート・ワールドカップ(W杯)
代表に選ばれ、初出場の長野大会で3位入賞。
その翌週に中国・ハルビンで行われたW杯では、当時日本スケート界の第一人者
だった清水宏保を破り、2位に入る。
2003年1月のソルトレイクシティ大会では34秒88の世界ジュニア新記録を樹立
(同年に34秒75まで更新したが、この記録はいまだに破られていない)。
高校生ながら、デビューからW杯の表彰台に上がり続け、一躍注目された。
卒業後は三協精機(現:日本電産サンキョー)に入社。
2005年3月にドイツ・インツェルの屋外リンクで行われた世界距離別選手権で
優勝し、2位に入った清水宏保とともにトリノオリンピック代表に内定。
2005年11月、アメリカ・ソルトレイクシティのユタ・オリンピックオーバルで行われ
たW杯で、清水の持つ世界記録34秒32をおよそ5年ぶりに更新する
34秒30の男子500m世界新記録(当時)をマークし、W杯初優勝を果たした。
世界記録保持者として臨んだトリノオリンピックではメダル候補として期待されたが、
6位に終わる。
また自身の持っていた500m世界記録も、現在はカナダ人選手
ジェレミー・ウォザースプーン(34秒03)が保持している(加藤の記録は現在6位)。
バンクーバーオリンピック、スピードスケート男子500mでは銅メダルを獲得。
清水はロケットスタートを活かして記録を出すタイプであるのに対し、
加藤はショートトラックの経験を活かしたコーナーワークが持ち味。
スピードスケート選手としては、技術と瞬発力はあるが持久力に欠けるため
典型的な「500m専門型」でありワールドカップ通算優勝回数は6回。
「長島すごいぞ」「条治もやった」。 2人が所属する長野県下諏訪町の日本電産サンキョーや地元には大歓声。 2大会ぶりのメダルでお家芸復活。両選手に惜しみない拍手と声援が送られた。 【武田博仁、浅妻博之、米川康】 同社会議室の大型スクリーンで観戦していた社員約100人から 割れんばかりの拍手が起き、社員らは顔を紅潮させて 「やったやった」と叫び、会議室は興奮のるつぼ。 会場から「条治、行けー」と大歓声が起きた。 1回目で加藤選手が3位、長島選手が6位と ともにメダル圏内とあって、 会場は興奮状態に。 安川員仁社長が「加藤は3位で2回目に期待したい。長島にもチャンスはある」 と語った通り、2回目は長島選手が力走、最終レースを待たずにメダルが確定。 社員らは喜びつつ最終の加藤選手の結果をかたずをのんで見守った。 全校生徒約600人が大型スクリーンでレースを見守った。 銅メダルが決まると「ジョージ、ジョージ」の大歓声がわき起こった。 「ガンバレ!加藤条治選手」と書かれたのぼり約10本が誇らしげに立てられた。 特に34秒台で走った1回目は素晴らしかった。 課題のスタートもうまく決めて全力で滑ってくれた。銅メダルおめでとう! プレッシャーに負けず良くやった」と涙を流して喜んだ。 2回目は最終の第20組でスタート。35秒07のタイムで、表彰台を確保した。 電光掲示板に順位が表示されると、会場のあちこちで日の丸が揺れた。 前回2006年のトリノ五輪でも、氷のトラブルで 進行が遅れた経験を持つ加藤選手には、嫌な流れ。 故郷の山形県から駆けつけ、スタンドでヤキモキしていた 加藤選手の父昌男さん(61)の携帯電話が鳴った。 昌男さんが調子を聞くと、「まあまあだよ」。 父の「ぶっ飛ばせ!」というエールに 「分かった」としっかりした口調で答えたという。 昌男さんは「余裕があったのかもしれない。大したものだ」 と振り返った。今大会では、日本人として初めてのメダル獲得。 ともに応援していた母順子さん(55)は、息子の晴れ姿に惜しみない拍手。 【バンクーバー金子淳】 【関連ニュース】 |