平成24年2月18日(土)
幼稚園のすぐそばの引野小学校は、昭和36年11月開校しました。
創立以来50年!
http://www.kita9.ed.jp/hikino-e/index.html
北九州市立引野小学校の創立50周年記念式典と祝賀会が催されました。
午前10時半から体育館で式典が始まりました。
北九州市教育委員会教育長柏木修様、歴代校長教職員など教育関係者のほか
保護者、地域の諸団体の代表者も出席し厳粛かつ盛大な式典が挙行されました。
出席した6年生は、全員、背筋がシャンと伸びていて、
最後まで凛として、素晴らしい態度をみせてくれました。
校歌も、やわらかいよく響く歌声でした。
代表の生徒のご挨拶も堂々として、
言葉もハキハキよく聞こえて、素晴らしく立派でした。
また、式典後のアトラクションの『引小太鼓』の太鼓くらぶ10名も、
迫力有る魂のこもった演奏で、今までで一番ピタリと息が合い、
メリハリがつき式典を盛り上げる格調高い演奏でした。
体育館の外は、木枯らしが吹きさむかったのですが、
中は、4台の大型ファンヒーターで、寒くはなく
校長先生や教頭先生のやさしいお心遣いにも感激!
どなたも、「今日の式典は、満点!」
「完璧な式典でしたね!記念誌もカラー版で立派!」
「出席されたどなたも、高齢にも関わらずとてもお元気そうで、
昔の記憶やエピソードを色々とはっきり詳しく思い出され、
同窓会のような懐かしさ!来てよかった。…」
「古藤さんはじめ、実行委員さんたちの協力体制も実に素晴らしい!」
また、
「祝宴の司会のお母さんは、まるでプロのアナウンサーみたいで、
式典とは雰囲気が変わり、和やかなお祝いムードを盛り上げて
50周年の歴史をふりかえるよい祝宴だった。」
など、好感を抱いた感想が多くきかれました。
特に、孫正義さんからのビデオレターは、心がこもり感動でした。
大人向け、子ども向け、
それぞれにお祝いのメッセージをわかりやすくお話され
これを聞かせていただいただけでも、
子どもたちにもよい刺激になったことでしょう。
大人用のDVDのなかで
彼は、小学生の頃の思い出をたくさん語っていました。
小学生の正義少年の夢は…、
大きくなったらなりたいと思ったこと4つ。
事業家、政治家、貧乏画家、
そしてなんと小学校の先生だった。
当時の担任の先生は、三上先生。
その先生を尊敬し、三上先生のような
立派な先生になりたかったのだそうです。
ところが、当時は韓国籍だったので、国籍条項で、公務員や
公立学校の教師にはなれないと知り、
父上に、日本に帰化して欲しいと懇願したが叶わず…
それで小学校の先生になる夢は、断念したのだそうです。
(現在 彼は、日本に帰化していらっしゃる。)
その代わり、世界を目指して、俄然 猛勉強を始めたのでした。
もし、事業家ではなく、小学校の教諭になっていたら…
きっと、多くの子どもたちに、やる気を起こさせる
立派なひとかどの教育者になっていたことでしょう。
子どもたちにも、
是非、大きい夢を持ち、目標に向かって
高い志をもち、たゆまぬ努力をし、夢を実現して欲しいと
切々と話しかけられ、
ご自身の子ども時代の楽しかった日々を振り返り
友達を大事にして、スポーツも勉強も大事と とても分かりやすかった。
(孫さんは、当 緑ヶ丘第二幼稚園の卒園生でもあります。)
農村地区から住宅地への転換期を
迎えていた引野地区に、昭和36年11月16日に
八幡市立上津役小学校と萩原小学校から分離、開校した引野小学校。
当初は、1年生から4年生までの10学級454名でスタート。
校舎は木造でしたが、昭和56年に現在の鉄筋校舎に改築され、
生徒数も昭和44年のピーク時には1444名となっていました。(現在は約400名在籍)。
この間、卒業生は、5,800名を超えました。
ソフトバンク(株)代表取締役社長 孫 正義さんをはじめ、
高田工業所代表取締役社長 高田 寿一郎さん、
世界で活躍中の実力派メゾソプラノのオペラ歌手 手嶋 眞佐子さん、
携帯電話の着メロを考案したIT関連企業代表取締役社長 松川 政裕さん、
アビスパ福岡の現役Jリーガー プロサッカー選手 末吉 準也さん、
北京オリンピックに出場 様々な大会でメダルを獲得した卓球選手 岸川聖也さん、
津軽三味線で日本一に輝き市民文化奨励賞を受賞された高校3年生の
薗畠皇寿(そのはたきみひさ)さんなど 多くの著名人を輩出。
http://www.kita9.ed.jp/hikino-e/sotugyouseisyoukai/sotugyousei_top.html
私たちは、この地元の引野小学校を誇りに思い、今後もあたたかく見守り
更に60周年、70周年、…、100周年と末永く発展するようにお祈りしたいと思います。