緑ヶ丘・第二幼稚園 最新かがやき日記

緑ヶ丘・第二幼稚園のかがやく子ども達の成長を見守り、親も教師も園長も子どもに負けず共に成長する日々を綴った日記です。

七五三と二十八宿

2009年11月15日 20時38分37秒 | 季節の風物詩・旅・地理・歴史・建築

 2009年11月15日(日)

11月15日は七五三です。

子どもの成長を願い成長を神様に感謝して

男の子は3歳と5歳、

女の子は3歳と7歳の年の11月15日に、

神社などに詣でる年中行事です。

本来は数え年だが、現在は満年齢で行われる場合の方が多いようです。

地方によっては男の子の3歳を行わない所もあるようです。

現在では全国で盛んに行われているが、

元来は関東圏における地方風俗でした。

尚、上方発祥の習俗としては、十三詣りがあり、

これも徐々に全国に広がりつつあるようです。

昨日も、長行小学校での教育美術展審査会のあと、町で、

晴れ着に身を包んだご一家に遭遇。

その真ん中にかわいい振り袖の着物を着た女の子に出会いました。

七五三は、もともとは、幼児期の通過儀礼として,

公家や武家の社会で行われていたもので、

3歳の女児が、そっていた髪をのばす髪置(かみおき)、

5歳の男児が、はじめて袴をつける着袴(ちゃっこ)、

7歳の女児が、着物の付け紐をやめて帯をむすぶ帯解(おびとき)として、

江戸中期以降 見られ始めたものでした。

それ以前は、特に男女別や年齢は確定していなかったようです。


また、各地には、もともと幼児期の成長に節目をもうけて

氏神様へまいる習俗がありました。

ところが、多くの行事同様、七五三が全国にひろまったのは、

江戸をはじめとする大都市で、商業的理由によるところが大きいようです。

縁者や近所にくばる千歳飴も、江戸中期には登場しています。

では、どうして11月15日になったのでしょうか?

旧暦の15日は、鬼が出歩かない日である二十八宿の鬼宿日に

当っているのです。

また、旧暦の11月は収穫を終えてその実りを神に感謝する月であり、

その11月の鬼宿日である15日に、氏神への収穫の感謝を兼ねて

子どもの成長を感謝し、加護を祈るようになりました。

      

明治になって、暦が新暦になってからは

11月15日に行われるようになりました。

現在では11月15日にこだわらずに、

10月から11月の間のいずれかの土日・祝日の晴天の日に

多くお参りするようになっているようですが、

本当は15日でないと鬼が出歩いてしまうようです。 (苦笑)

旧暦11月はその年の実りを神に感謝する月であり、

旧暦15日は二十八宿で

「何事をするにも吉」とされる鬼宿日に当たったことから

11月15日に行われるようになったのだそうです。

 

さて、二十八宿といえば、今度は星座の話になりますが、

もうすぐ天頂に冬の大六角形が輝きます。

http://www.yano-el.co.jp/coro/play/yaru/fuyuhosi-rokkaku.html

今年は、流星群で有名なオリオン座も、誰でも見つかるあの形と輝きで

冬の空の代表選手として輝いています。

http://www.nao.ac.jp/phenomena/20091019/index.html

それら星座にまつわるギリシャ神話を私は話題によく取り上げますが、

本当は、星座は、 織り姫、ひこ星に代表されるように東洋にも沢山あります。

もちろん、江戸時代までの星座は、

この東洋のものを言っていましたが、

明治維新以後、文明開化で、西洋文明がどんどん取り入れられ、

最近は、すっかり星座というと西洋のものとなってしまったようです。


 東洋では、太腸が天球上を運行する黄道上にそって一周するその円周を

28等分し、それぞれブロックごとの位置の近くにある星座が割り当てられました。

その各々のブロックを星が泊まる宿という意味で、「宿」といい、

それに星座名をつけたのです。

ですから、全部で二十八宿になります。

 月は、ある恒星に対して、27日7時間43分2.5秒で天を一周しますので、

天を27または28で区分するのが便利だと考えたのでしょう。

というわけで、

月は、一日毎に、この二十八宿の一宿ずつ通過していくと考えられました。

この二十八宿は中国からインドヘ渡り、インド占星術として発達し、

唐時代に中国に戻り、それが空海によって806年に日本へもたらされたと

以前は考えれていました。

しかし、奈良県の明日香村で発掘されたキトラ古墳の天井壁画に

星座が描かれていたので、今では、

空海の時代以前にすでに日本へ入ってきたと考えられています。

この二十八宿の中の二十三宿目は星名を「鬼」と言われ、

和名「たまおのぼし」でギリシャ神話かに座θ(シータ)を指します。

この鬼宿にあたる日に

お釈迦様が生まれたと言い伝えられるところから、

鬼宿日が「万事に大吉。二十八宿のなかで一番ラッキー宿」

ということになったのです。

 

中国,明の時代に作られた小説「金瓶梅」「三国志」「西遊記」「水滸伝」を

4大奇書といいます。

いずれも史実を一応は元にしていますが、ほとんどが創作で、内容は

現代のSFファンタジーを思わせる奇想天外な戦記物です.

 いずれも星空を地上の写し絵と考えた中国らしく、星がよくでてきますが、

中でも天コウ星36と地サツ星72の108星の英雄(といっても山賊)を描いた

「水滸伝」は星が出る話として知られています.

実は、

舞台が殷の国と最も古い「封神演義」にも,登場する365人の英雄は

天の星なのです.

「水滸伝」の108星はほとんどが創作で実際夜空にみえる星がないのに対し、

「封神演義」の365星は二十八宿や北斗南斗がそろっているなど、

実際の星を表しているものが多くなっています. 

それで「封神演義」 も4大奇書の次に位置しているようです。

東洋の小説や漫画アニメの中には、以下のように

二十八宿に影響を受けたものが沢山あります。

水滸伝』 - …宋江軍と戦う突厥軍に二十八宿将軍が居る。

封神演義』 - 封ぜられる神の中に二十八宿がある。

星界の紋章』・『星界の戦旗』 - アーヴ根源二九氏族のうち

アブリアルを除いた二八氏族は二十八宿をアーヴ語化して命名されている。

ふしぎ遊戯』・『ふしぎ遊戯 玄武開伝』  登場する星士たちは二十八宿にちなむ。

姫神さまに願いを』  主人公のカイとテンの関係が、

二十八宿ではそれぞれ「業」と「胎」にあたる宿星である。

また、カイが暦盤を用い、二十八宿で曜日を調べているシーンがある。

中国の星座の歴史は大変に長く,その起源は約3000年前といわれています。

私たちになじみの深いヨーロッパ起源の星座は,ギリシャ・ローマ神話,

身近な人物・動物や道具をなぞっているのに対し,

中国の星座はひとつの国家体系を形成しています。


 夜空の日周運動の中心である北極星は「天帝」の座とされ,

そのすぐそばをめぐる星たちには宮殿の庭園や官庁、役人といった高貴な

事物をあてはめました。

そして北極星から離れるに従い、庶民の住宅や市場など

次第に身分の低い存在を星座としました。

このように形作られた中国の星座は、そのひとつひとつがとても小さくって

全体の数が非常に多いのが特徴です。

3世紀に整理された段階で、実に300以上の「星座」が空にひしめいていました。

現代星座で、太陽の通り道に当たる黄道が通る星座たちが「黄道12星座」ですが,

中国星座の黄道12星座に相当するのが、

「二十八宿」と呼ばれる28の星座なのです。

「黄道12星座」は,太陽が12ヶ月かかって動く黄道を12等分したひとつひとつに

当てはめたものです。

これに対して二十八宿は,月が27.5日かけて天球を1周するとき,一晩ごとに

1つの「星座=星宿(せいしゅく)」を移動するように割り振られたものです。

黄道12星座の出発点は春分点(現在のうお座)ですが、

二十八宿の起点は秋分点に近い「角宿(かくしゅく),おとめ座中央部」にあります。 

この二十八宿は、太陽・月・惑星の位置と動きを表現することに用いられ、

当時の天文学上も,非常に重要なものであったようです。

それぞれの星宿の中で、西端に位置する比較的明るい星を

「距星(きょせい)」といいます。

そして東隣の「距星」との間の領域を、

その「距星」の名前を付けた「宿」と呼んでいるわけです。

私の好きな曲ヘイス作曲『冬の星座』という歌がありますが、

子ども達と悠久の世界に想いを馳せながら、

たまには季節の星の話をいたしましょう。

 

 

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