とうとう2011年が暮れていきます.
今年は本当に忘れられない年になりました.
taroの受験,大震災,信じられない光景とその後の非日常的な生活,影響が残る中のtaroの引っ越し,母の入院,そして死・・・・その後の諸々.
日常に帰る頃,バイトは忙しさに拍車がかかり,毎日遅くまでなんやかやとやっているうちに12月がやってきて設立10周年記念祭無事終了.
一年間,公私ともに忙しく,精神的にはかなりハードで心の深い部分が傷んだような気がしました.
でも,何とか元気に新しい年を迎えることが出来そうです.
実家の遺品整理をしたときに自分の写真も含めて,父母の若い頃の写真もすべてそのまま持ってきてしまいました.
なかなか向き合うことが出来ずに部屋の片隅に置きっぱなしにしていましたが,年末にとうとう整理する決心がつきました.
自分の気持ちを励ます意味で,素敵な箱を用意しました.
A3サイズも入るヒマワリボックス.

中もヒマワリがいっぱい.明るい気持ちになれそう.

小さめのブック型ボックス.×2.

中のデザインも凝っています.
made in chinaですけど.


丸い帽子用のボックスも.

かなり年季の入ったアルバムたち.
この倍はあります.数十年分です.
ノリがついていてそのまま写真を貼れるタイプのアルバムは経時で写真が剥がせなくなり,かなり苦労して一枚一枚剥がしました.

こんな箱の中にも小さな昔のプリント写真がどっさり.

両親のアルバムは知らない人もたくさん写っていて,その人たちの写真がなぜアルバムに貼られているのか,父や母にとってどんな人たちだったのか,まるでわかりません.
そして,当然のことながらもう聞けません.
一度くらいこんな会話をすれば良かったなあと思いました.
もうすでに鬼籍に入った人たちの写真も.
忘年会か何かで楽しそうに笑っていたり,熱心に話し込んでいる様子が写っています.
無口だった父の若い頃の仕事場での写真.
仕事仲間との楽しそうな笑顔.
何だか感覚がおかしくなってくるようです.
あー弟の赤ちゃんの時の写真だ・・・などと思って整理していたらあまり見たことのない赤ん坊の写真がたくさん.
明らかに弟より多いけれど,これはもしや??
どう考えてもやまめだと思うのですが,もう確認するすべもありません.
たぶん,自分.
そして父母との唯一のスリーショットかも.
全く知らない父母が最初に住んだ家(たぶん).

考えてみれば貴重な写真です.
父も母も親としてではなく,自分の人生をそれぞれちゃんと生きたんだなぁ・・・と何となく思いました.
親って子供にとっては気づいたときから親でしかないので,なかなか人間として,一個人として知ることが出来ませんが,知らない顔をたくさん持っていて笑ったり怒ったり泣いたり?喜んだりしていたんですね.きっと.
当たり前のことを改めて実感です.
そして,遊園地や動物園,幼稚園の遠足,お花見などの写真をみれば,親としても頑張ってくれていたんだなぁと思います.
生きているときにもっと色々な話が出来たらよかったな・・・・.
感謝の言葉も何も,ろくに言えないままだった気がします.
以前も見たことがある写真もありましたが,前に見たときは顔や服装などをみていたのですが,今回は写真をみると,足下や背景の垣根や樹木,建物に目がいきます.
かつての実家の様子とか,昔のバスターミナルの景色とか,今はない近所の公園とか,家に竹垣があったらしい,とか.
父がワイヤーロープで玉掛けしたり,丸太で組んだ足場の上にいる写真もかなり新しい発見でした.
自分自身のことでは,すっかり記憶が抜け落ちて,写真を見て急に記憶がよみがえったり懐かしい顔が飛び込んできてフラッシュバックのようにそのときの光景が浮かんだり・・・
中にはどうしても状況が思い出せない写真もありました.
記憶って面白いものです.
写真はなるべく整理して減らしておきたいと思っています.
デジカメで撮ったものはすべてPCに入っているので場所を取っていませんが,フィルム時代のものは,懐かしい反面,変なものも何故か後生大事にたくさん保存してあるので.
以前はちゃんとアルバムに貼って整理するのが当たり前だと思っていたのですが,こうやってボックスに入れるだけで十分な気がしてきました.
まだ半分も出来ていませんが,年明けまだゆっくり片づけの続きをしようと思います.
今年は本当に忘れられない年になりました.
taroの受験,大震災,信じられない光景とその後の非日常的な生活,影響が残る中のtaroの引っ越し,母の入院,そして死・・・・その後の諸々.
日常に帰る頃,バイトは忙しさに拍車がかかり,毎日遅くまでなんやかやとやっているうちに12月がやってきて設立10周年記念祭無事終了.
一年間,公私ともに忙しく,精神的にはかなりハードで心の深い部分が傷んだような気がしました.
でも,何とか元気に新しい年を迎えることが出来そうです.
実家の遺品整理をしたときに自分の写真も含めて,父母の若い頃の写真もすべてそのまま持ってきてしまいました.
なかなか向き合うことが出来ずに部屋の片隅に置きっぱなしにしていましたが,年末にとうとう整理する決心がつきました.
自分の気持ちを励ます意味で,素敵な箱を用意しました.
A3サイズも入るヒマワリボックス.

中もヒマワリがいっぱい.明るい気持ちになれそう.

小さめのブック型ボックス.×2.

中のデザインも凝っています.
made in chinaですけど.


丸い帽子用のボックスも.

かなり年季の入ったアルバムたち.
この倍はあります.数十年分です.
ノリがついていてそのまま写真を貼れるタイプのアルバムは経時で写真が剥がせなくなり,かなり苦労して一枚一枚剥がしました.

こんな箱の中にも小さな昔のプリント写真がどっさり.

両親のアルバムは知らない人もたくさん写っていて,その人たちの写真がなぜアルバムに貼られているのか,父や母にとってどんな人たちだったのか,まるでわかりません.
そして,当然のことながらもう聞けません.
一度くらいこんな会話をすれば良かったなあと思いました.
もうすでに鬼籍に入った人たちの写真も.
忘年会か何かで楽しそうに笑っていたり,熱心に話し込んでいる様子が写っています.
無口だった父の若い頃の仕事場での写真.
仕事仲間との楽しそうな笑顔.
何だか感覚がおかしくなってくるようです.
あー弟の赤ちゃんの時の写真だ・・・などと思って整理していたらあまり見たことのない赤ん坊の写真がたくさん.
明らかに弟より多いけれど,これはもしや??
どう考えてもやまめだと思うのですが,もう確認するすべもありません.
たぶん,自分.
そして父母との唯一のスリーショットかも.
全く知らない父母が最初に住んだ家(たぶん).

考えてみれば貴重な写真です.
父も母も親としてではなく,自分の人生をそれぞれちゃんと生きたんだなぁ・・・と何となく思いました.
親って子供にとっては気づいたときから親でしかないので,なかなか人間として,一個人として知ることが出来ませんが,知らない顔をたくさん持っていて笑ったり怒ったり泣いたり?喜んだりしていたんですね.きっと.
当たり前のことを改めて実感です.
そして,遊園地や動物園,幼稚園の遠足,お花見などの写真をみれば,親としても頑張ってくれていたんだなぁと思います.
生きているときにもっと色々な話が出来たらよかったな・・・・.
感謝の言葉も何も,ろくに言えないままだった気がします.
以前も見たことがある写真もありましたが,前に見たときは顔や服装などをみていたのですが,今回は写真をみると,足下や背景の垣根や樹木,建物に目がいきます.
かつての実家の様子とか,昔のバスターミナルの景色とか,今はない近所の公園とか,家に竹垣があったらしい,とか.
父がワイヤーロープで玉掛けしたり,丸太で組んだ足場の上にいる写真もかなり新しい発見でした.
自分自身のことでは,すっかり記憶が抜け落ちて,写真を見て急に記憶がよみがえったり懐かしい顔が飛び込んできてフラッシュバックのようにそのときの光景が浮かんだり・・・
中にはどうしても状況が思い出せない写真もありました.
記憶って面白いものです.
写真はなるべく整理して減らしておきたいと思っています.
デジカメで撮ったものはすべてPCに入っているので場所を取っていませんが,フィルム時代のものは,懐かしい反面,変なものも何故か後生大事にたくさん保存してあるので.
以前はちゃんとアルバムに貼って整理するのが当たり前だと思っていたのですが,こうやってボックスに入れるだけで十分な気がしてきました.
まだ半分も出来ていませんが,年明けまだゆっくり片づけの続きをしようと思います.