やまめの庭つくり

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近江商人の庭

2014-08-15 | 庭園見学
彦根城の玄宮楽々園を見学した後は,東近江市五個荘にある,近江商人の屋敷めぐりでした.

五個荘の金堂の町並みは,重要伝統的建造物保存地区となっており,ちょっと離れた場所にある藤井彦四郎邸を皮切りに,この区域にある屋敷,中江準五郎邸,外村宇兵衛邸,外村繁邸,金堂まちなみ保存交流館(旧外村宗兵衛,中江富十郎邸)を見学しました.


金堂の町並み.白壁と舟板張りが目を引きます.

舟板を壁に張っているのは,これくらいものを大切にしたという象徴のようでした.







お屋敷の板塀.どこも水路が切ってあり,昔修学旅行で見た萩のまちを思い出しました.さすが,琵琶湖の近くですね.


ちょうどこの期間,商家に伝わる武者人形めぐり,やっていました.家の窓辺で金太郎がクマと相撲を取っていました.

町の中を流れる水路から,各家庭には「川戸」という,洗い場兼防火用水兼魚の生け簀が設置されたりしています.

たくさんの奉公人たちの分までここで食器洗いしたら,絶対腰痛になりそう・・・yellow22

当時近江商人は商いは他国で行い,屋敷にはおかみさん(お家さん)がたくさんの見習いや女中,奉公人の教育を一手に引き受け,切り盛りしていたそうです.

近江商人と言えば「売り手よし,買い手よし,世間によし,の三方よし」.

江戸時代,天秤を担いで見知らぬ諸国を回って産物を売るには,様々な知恵と努力が必要だった事でしょう.

そこで,各家ごとに家訓があり,質素・倹約・勤勉・正直・堅実の精神を家族,奉公人にいたるまで徹底して暮らしていたということです.

そんな近江商人屋敷の庭は,質素・・・かと思ったら違いました.

自分たちの居住空間はたしかに質素ですが,お客さんをもてなす「場」である客殿と,庭園はゆったりとして贅沢な造りです.

明日からは近江商人屋敷のお庭を紹介したいと思います.



楽々園

2014-08-11 | 庭園見学
5月の庭園見学の続き.

彦根城の玄宮園の隣りには楽々園という庭園が続いています.

ここは,1810年頃にだいたい今の形になったそうですが,十三代井伊直中の引退に際し,御殿を新築して総槻(けやき)作りであったことから槻御殿と呼ぶようになりました.

もとの下屋敷が造営された1679年当初は玄宮園と楽々園は一体化したものでしたが,御殿の増改築で塀で区切られたり,玄宮園から水をひいて滝流れと池の庭だったり,その後枯れ山水になったりと,玄宮園より変遷が大きいのが特徴です.

槻御殿.この新書院から座って鑑賞するお庭です

初めの頃は,本当に滝が流れていたとされる,石組み.家臣の香取氏が作庭したと記録されているそうです.



大きな立石が迫力とリズムを生み出しています.上の方の石橋と両脇の立石が蓬莱山を飛ぶ鶴になり,滝の水落石は,亀頭石で築山全体が亀,蓬莱山を表現しているそうです.
この蓬莱山の上に,城郭が乗って,蓬莱そのものの眺めとなるように計算されているそうです.




迫力のある築山とは対照的に穏やかな枯れ池の汀線.


芝の野筋の中を,ゆったりとした流れが表現されている枯流れ.

楽々園とは,山を楽しみ,水を楽しむと言う意味が込められているそうです.長いこと分かれていた玄宮園と楽々園が今のようにつながったのは,明治に入ってからのことだそうです.

書院より.玄宮園とつながって,遙か彼方の山まで見通せる景色.ここに塀があって区切られていない方がずっと良かったと思いました.

ハレの日

2014-08-11 | イベント
先日,久し振りに仲間が集まって,お祝い会がありました.

北鎌倉の素敵なレストラン.

会場となったお店は,なんと偶然にも,数年前に行こうとして道がわからなくなって断念したお店でした.

来ると言っていた台風の影響もなく,美味しい料理,素敵な雰囲気のお店,みんなの笑顔,楽しい会話・・・

ありふれた言葉ですが,‘満ち足りた時間’を過ごせたことに感謝kirakira2です.

やまめが選んだ前菜のプレート.お料理はどれも美味でした

玄宮園

2014-08-06 | 庭園見学
突然ですが,久し振りに庭園見学会参加記録を書いておきたいと思います.

どたばたと忙しかった5月11日,毎年恒例の金沢の樹仙堂さんプレゼンツ,庭園見学会に参加しました.

今回も琵琶湖の東,湖東の名園・名建築を巡るということで,彦根の玄宮・楽々園と,近江商人の屋敷と庭園(五個荘)と,聖徳太子が開創したという教林坊の庭園を見学してきました.


彦根,といって思い出すのは「彦にゃんcat3」だけ,という,淋しい頭の中身でしたが,家に帰ってから,いただいた資料でちょっぴり勉強しました.
彦根藩は徳川四天王のひとり,井伊家の領有地で,桜田門外の変で討たれてしまった大老,井伊直弼が有名ですが,その故郷彦根藩下屋敷の庭園が,玄宮園と楽々園というわけです.

玄宮園は,池泉回遊式の大名庭園で,大きな池には,大小4つの島があり,なだらかな汀線と勢いや遊びを感じる石組みの対比や,橋の上からの景色の緩急の変化がかなり楽しい庭園でした.

庭園に足を踏み入れ,鳳翔台(茶席)に向かって歩くと,岸の護岸石組みは渓谷の様を表しているらしいのですが,躍動感を感じる自由な印象です

扇の様に広がっている石組み.

高橋の下から対岸の蓬莱石を見せる趣向

蓬莱石アップ.玄宮園は,1677~1679年に何右衛門という家臣が作庭の指導にあたったと伝えられているそうです.これら,石組みすべて,城下の家臣の下屋敷でいったん仮組みして検討を重ねて作り上げたということです.



すごく計算されたような遊びを感じる石組みと,一体化した岩盤のような,自然の風景を模した石組み



臨池閣と魚躍沼(手前の池).この右手,横に広がる風景が下の写真につながります.空と水景が広々して気持ちのいい景色を見せてくれます.



芝生広場,武蔵野より.奥から彦根城天守閣,鳳翔台,臨池閣,そして背後・・・一直線に伊吹山まで軸がつながっています.まわりにビル群がなく,唯一見える人工物がお城と鳳翔閣,臨池閣という,作庭時に計算して景色に取り込んだものなので,当たり前ですが景色が落ち着いています.

ストーリーとして,奥の伊吹山(実際には20キロ近く離れています)から流れてきた水を表現した枯れ流れ.中央の水分石,いい味出しています.

料亭「八景亭」の臨池閣で昼食fork

懐石弁当symbol7

臨池閣から眺める景色

彦根市立教育研究所 「郷土愛に関する調査研究員会」の「わたしたちの彦根」に,隣接していた松原内湖の在りし日の景色を写した写真が掲載されています.
天守閣から見る玄宮園・楽々園は,松原内湖,その後ろの山々を借景にして,本当にスケールの大きな庭園だったことがわかります.









夜空の花

2014-08-06 | イベント
5日は神奈川新聞花火大会でした.

いつものお気に入りの場所から,ゆっくり楽しみました.

















19:00~20:30の予定でしたが,何と20分以上早く終わってしまいましたase2ase2

ひょっとして,あの後半の怒濤のようにわき上がった花火は,何かの間違いでやりすぎてしまったとか