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→地図を見てみる
きっかけは、紫式部の娘である大弐三位(だいにのさんみ)こと藤原賢子(かたこ・かたいこ・けんし)の歌集『大弐三位集』に、門司の関の白波を詠んだ歌があると知ったことから。
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じゃ、行ってみよう!ということで。
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門司の和布刈(めかり)神社の第一鳥居下に「門司関址」碑はあります。
画像左側の公園。
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「文字ヶ関公園」と記されています。
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「門司関址」碑と解説碑が設置。
公園は規模は小さいながらも滑り台など、遊具があります♪
*☆*―――――――――――――――――――――――――――*☆*
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門司関址
門司は都と太宰府を結ぶ重要な地で大化2年(646年)ここに海峡往来の人や船等を調べるため門司関を設け九州第一の駅とした
むかしより詩歌等に数多く詠まれている
次の歌は承徳元年(1097年)源俊頼が大宰府の任を終え帰京の途中に詠んだものである
行き過ぐる 心は門司の 関屋より
とどめぬさゑに 書きみたりけり
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源俊頼といえば、『百人一首」の以下の歌で有名ですね。
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憂かりける 人を初瀬の山おろしよ
はげしかれとは 祈らぬものを
平安末期の代表的な歌人で、勅撰和歌集である『金葉和歌集』の撰者でもあります。歌論書『俊頼髄脳』を著しました。
父である源経信の大宰府赴任に同行し、父を亡くしたのち、上京して再出仕。
伊勢の斎宮にも仕えた経験のある人物です。
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「門司関址」碑
『大弐三位集』より、大弐三位<藤原賢子>の詞書きと歌。
後(のち)のたび、筑紫にまかりしに、門司の関の波の荒ふたてば
往きとても おもなれにける 舟路(ふなみち)に
関の白波 こころしてこせ
航海の難所でもあった関門海峡を越えるにあたって、安全を願う歌ですね。
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夫である大宰大弐(だざいのだいに)高階成章(たかしなのなりあきら)に会いに行く途中、詠まれました。
潮流が激しい関門海峡ですから、平安時代の船旅も不安がともなうものだったと思います。
安全第一
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大弐三位は高齢になっても宮中で活躍しました。
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