加賀藩ゆかりの地を訪ねる2017 高岡エリア-1
◇富山県高岡市「義経岩・義経伝説」、「守山城祉」(No.1176)
10月7日(土)金沢ボランティアの会まいどさんの16期グループ「よるまっし16」の加賀藩ゆかりの地を訪ねる2017に参加しました。
心配された雨も現地ではやみ、山城で有名な増山城址、義経岩・義経伝説、勝興寺、守山城祉を訪ねました。
〇義経岩・義経伝説
義経岩は、富山県高岡市の雨晴海岸にある大岩。義経伝説が残る。雨晴岩ともいう。能登半島国定公園内にある景勝地。
文治3年(1187)義経一行が奥州平泉へ向かう途中に俄雨が降り出したため、弁慶が岩を持ち上げ、その陰で雨宿りをしたという伝説が残る。「雨晴」という地名はこの伝説に由来する。
義経岩の上には義経神社が建てられており、「義経の腰掛」や「弁慶の足跡」といわれる跡が残っている。近くの伏木には歌舞伎の「勧進帳」のモデルとなったとされる如意の渡しがある。また伏木駅前に「如意の渡像」が移転した。
■写真は義経神社
■写真は義経岩
■写真は小松市の安宅にある弁慶像
■写真は伏木駅前
■写真は如意の渡し像
◇富山県高岡市「守山城祉」
10月7日(土)金沢ボランティアの会まいどさんの16期グループ「よるまっし16」の加賀藩ゆかりの地を訪ねる2017に参加しました。
心配された雨も現地ではやみ、山城で有名な増山城址、義経岩・義経伝説、勝興寺、守山城祉を訪ねました。
■写真は二上山の大伴家持像
〇守山城祉概要
松倉城(魚津市)、増山城(砺波市)と並び越中三大山城と称された。守山城はまた、二上城、海老坂城ともいう。越中平野を一望に見下ろし、山高く道険しく前方は小矢部川、後方は氷見の湖水に挟まれた要害であり、築城時期は明らかではないが「南北朝末期(1371年)に南党の桃井直常が石動山天平寺の宗徒と示し合わせて、越中守護・斯波義将の本城・守山を攻め落とした」と書かれているため相当古いと考えられる。
永禄11年(1568)越後の上杉謙信は大軍を率いて越中へ侵攻し、守山城を攻撃している。当時の城主・神保氏張は、謙信に降伏して配下となっていた神保氏当主・神保長職と対立していた。この時は謙信の本国・越後で本庄繁長の乱が起きたため、謙信は守山城攻めを中止し、引き上げている。この後、度重なる謙信による越中出兵に遭い守山城は陥落、上杉方の城となった。
■写真は守山城址
■写真は本丸跡の平和観音像
■写真は三の丸
■写真は本丸跡から高岡市内を見る
■写真は森山城地図
参考資料:宮武利男氏、ホームページ他
(つづく)