金沢の観光スポットレポート その928(No.1337)
◇玉姫の菩提寺 天徳院‐1
〇天徳院概要
金龍山(きんりゅうざん)天徳院は曹洞宗の寺院。元和9年(1623)に加賀三代藩主前田利常公は正室珠姫菩提のため、金沢城の東、小立野台に4万坪の広大な敷地を定めて天徳院を創建した。寛永元年(1624)初代将軍徳川家康公が崇敬した巨山泉滴和尚を千葉県長安寺よりお招きし、天徳院第一世開山とした。
■写真は総門
寛文11年(1671)珠姫(天徳院殿)の遺骨は天徳院境域より野田山に改葬された.元禄6年(1693)五代藩主綱紀公は四代藩主光高公50回忌供養のために、親交の深かった明(中国)の僧、黄檗宗五代管長高泉和尚に委嘱して着工から10年の歳月を要して天徳院の全堂宇をすべて明朝式に造営建築した。
明和5年(1768)に山門、総門、御霊堂、宝蔵などを残して本堂、庫裡その他多くの講堂を焼失した。現在は山門を残すのみである。明和6年(17年度69)12月には、十代藩主重教公がわずか70日間の突貫工事で本堂、庫裡などを再建した。(天徳院ホームページより)
明治12年(1879年)には諸岳奕堂(もろたけえきどう、總持寺独住第1世)が住職に就任。大正4年(1915年)には森田悟由(永平寺貫首、曹洞宗管長)が住職に就任。大正12年(1923年)には関東大震災から避難した室生犀星が滞在している。
■写真は総門左のタブノキ
明和5年(1768)2月天徳院は火災によって多くの諸堂をうしなった。しかし、山門だけは免れ、元禄6年(1693)建立当時ののままの姿を残している。山門の仁王尊像、は天台宗のある寺院にあったものを建立時に移されたと伝えれいる。山門上には十六羅漢が祀られている。
山門元禄6年(1693年)建立の二重門。屋根は当初は鉛瓦で葺かれていたが、財政悪化のため通常の瓦に交換された。
■写真は総門右の出世地蔵尊
■写真は山門
■写真は山門より本堂
■写真は本堂仏殿
■写真は鎮守堂
■写真は鎮守堂の天狗
ご本尊:釈迦牟尼仏
住職:荒井 源空
文化財:
・羅?羅像 - 木造、江戸時代
・見返阿弥陀立像 - 木造、江戸時代
・梵鐘 - 1863年作
拝観料:大人500円、中人300円、小人200円
拝観時間:3月~11月9:00~16:30(受付16時まで)12月~2月9:00~16:00(受付15時30分まで)
□天徳院ホームページ
撮影:2018.7.1
(つづく)