植ちゃんの「金沢・いしかわに恋をしました!」

金沢に永住して金沢・石川が好きになりました!その魅力を紹介します。

珠姫の菩提寺 天徳院‐2

2018-07-19 04:29:21 | 日記


金沢の観光スポットレポート その929(No.1338)

◇珠姫の菩提寺 天徳院‐2(完)

〇珠姫さま略伝

珠姫さまは、加賀藩三代藩主前田利常公の正室で、慶長4年(1599)三月江戸幕府第二代将軍徳川秀忠公の次女として生まれ、名前は珠子、幼名を子々姫といった。

同年、前田家では藩祖利家が亡くなり、二代藩主利長公が加賀の国へ戻り藩政を治めていた。その間には、前田が徳川を討つという噂が流れ、将軍家康公は大変驚き軍勢を集めて前田を攻めようとした。この情勢を聞いた利長公はすぐに国家老を派遣して、前田家が徳川幕府に刃向かう計画は一切無いことを説明、その証としてやむなく利長公の母、お松の方(芳春院)を人質として江戸に送り代わりに珠姫を嗣子利常の嫁として受けることを約束した。



■写真は茶室



慶長6年(1601)姫さま3歳のとき加賀の国へお輿入れになり14歳で結婚、その後10年間に3男5女を立派に育てられた。珠姫さまは利常公の妻として、将軍秀忠公の娘として前田、徳川両家の融和のために心を尽くされたが、元和8年(1622)春、夏姫出産後7月3日になくなられた。御歳24歳であった。

その年の8月8日、城外小立野の地で荘厳に葬儀が行われ、遺骨を金沢と高野山に分骨して各に一寺を設け、戒名の「天徳院殿乾運淳貞大禅定尼」にちなんで、いずれの寺院も天徳院と称した。

■写真は抹茶と乾菓子(税込み500円)



珠姫さまの生涯は加賀百万石の危機を救いその繁栄に尽くした、まさに良妻賢母、日本女性の鏡として今も金沢市民に敬愛され親しまれている。(天徳院ホームページより)

■写真は庭園



〇見どころ

本堂の一角に再現した御殿を舞台に、木偶師八代目玉屋庄兵衛氏が伝統の手法と新しい技術
で実現した「からくり人形」があり、六体のからくり人形が演じるドラマは金沢城の歴史の
一コマを覗かせてくれます。また、茶室の庭は黙照禅庭と呼ばれ、回遊式庭園となっています。

■写真は一枚石の橋









■写真は庭園





■写真は金龍稲荷大明神



■写真は天徳院境内(グーグルマップより)

□天徳院紹介ページ1(植ちゃんの金沢いしかわに恋をしました。)

□天徳院紹介ページ12植ちゃんの金沢いしかわに恋をしました。)

□天徳院ホームページ


撮影:2018.7.1

(天徳院完 つづく)