植ちゃんの「金沢・いしかわに恋をしました!」

金沢に永住して金沢・石川が好きになりました!その魅力を紹介します。

◇雪の金沢城公園2021 ③(ユーチューブ連動解説版)

2021-01-28 04:20:42 | 金沢・石川の観光


金沢の観光スポットレポート(No.1942)

◇雪の金沢城公園2021 ③(ユーチューブ連動解説版)

2021年1月9日より降り出した雪は、10日気象台9時発表で積雪64センチ。バスが交通渋滞で兼六園に着いたのは午前10時前で、金沢城公園には10時過ぎから取材した。久しぶりの雪の金沢城公園ををリポートします。



〇玉泉院丸庭園

玉泉院丸庭園は、加賀藩三代藩主「前田利常」による寛永11年(1634)の作庭を始まりとし、その後五代「綱紀」や十三代「斉泰」などの歴代の藩主により手を加えられながら、廃藩時まで金沢城内玉泉院丸に存在していた庭園です。饗応の場として活用された「兼六園」に比べ、藩主の内庭としての性格が強い庭園だったと考えられています。庭園は、城内に引かれた辰巳用水を水源とする池泉回遊式の大名庭園で、池底からの周囲の石垣最上段までの高低差が22mもある立体的な造形でした。滝と一体となった色紙短冊積石垣などの、意匠性の高い石垣群を庭の構成要素とする、他に類を見ない独創的な庭園であったと考えられています。



〇色紙短冊石垣群

城の石垣は本来敵の侵入を防ぐ目的であるが、金沢城公園の玉泉院丸庭園にあるこの石垣は、階段状で登り易くなっている。石質の異なる石を縦横に配して、庭園の美しい背景を造りだしており、色紙短冊石垣群と呼ばれている。







■写真は玉泉庵と休憩所















〇鼠多聞(復元)鼠多聞橋(再現)

鼠多門は、金沢城の西側の廓である玉泉院丸に位置し、水堀を跨ぐ木橋(鼠多門橋)により接続される金谷出丸からの入り口として機能していた二階建ての櫓門。創建年代は明らかになっていないが、江戸時代前期ににはすでに存在していたことが絵図等から判明しており、城内の多くの建物が失われた宝暦9年(1759)の大火でも焼失を免れ、修理等を経ながら明治期まで存在したいた。 明治4年(1871)の廃藩後は旧陸軍の直轄に置かれ、倉庫などに利用されていたが、明治17年(1884)に火災により焼失し面影は失われた。2014年より復元に向けた発掘調査や絵図・文献等調査を行い、調査結果基づき史実に沿った木造による復元を行うこととし、2018年6月に着工、2020年7月に竣工、136年ぶりに姿を現した。







■写真は金沢城公園の建築物で初めて落雪防止のため、鉛瓦にヒーターが設置された。



〇尾山神社

慶長4年(1599)に加賀藩藩祖前田利家を祭り創建された卯辰八幡社(現宇多須神社)を、明治6年(1873)に卯辰山から金沢城の出丸金谷御殿跡地(現在地)に移し、本殿、拝殿が建てられ、尾山神社とした。尾山神社の神門は明治8年(1875)に完成。神門の和洋中の三様式が取り入れられた五色のギヤマンが綺麗です。 明治10年聖上北陸御巡幸金沢に御駐輦に際し、御幣物奉納爾後数回御幣帛下賜。明治35年別格官幣社に昇格。御祭神:前田利家公、まつの方





(つづく)



ユーチューブ「雪の金沢城公園2021」