かねうりきちじの横浜・喫茶店めぐり

珈琲歴四十年の中の人が、珈琲豆荷揚げ量日本一を誇る横浜港のある町の喫茶店でタンザニア産コーヒーを飲み歩きます

次走はいつかな?

2009年11月24日 | 旧ブログ記事(競馬関係)
 先日おしくも3着だったわが愛馬シルキーフェザントですが、レース後も順調ですでに調教を再開しているようです。

 管理している小西重征調教師によれば、彼女は「変なところで度胸がある」らしいです。まぁ、悪いことではないと思うので、その性格がレースでいい方に出てくれればと思います。

 次走は「馬の状態を見てから」とのこと。馬が無事なのが一番なので、万全な体調でレースに出てくれればと思います。


シルキーフェザントの応援幕。岩手競馬では一度頼むと出走の度に係りの方が掲示してくれます。次にこの応援幕を見られるのはいつでしょうか?

岩宿遺跡に行って来ました

2009年11月24日 | 旧ブログ記事(その他)
 昨日、親孝行にと思い、どこか行きたいところはないかと聞いたところ、以前行ったことがある草木湖に行きたいというので、一緒に行きました。

 どこにあるのか見当もつかなかったので、行き方を確認するために地図を見たところ、途中に岩宿遺跡があったので、立ち寄ることにしました。

 これまで何度かそばを通り過ぎていたものの何となく行きそびれていたのですが、日本考古学史上の重要性では3本の指に入ると思われる遺跡がどのような形で整備されているのか、見ておきたかったので、立ち寄ることにしました。

 残念ながら時間の関係で併設されている岩宿博物館を見学するとはできませんでしたが、B地点の地層を観察できる岩宿ドームを見学しました。

 今度は、『岩宿の発見』や『赤土への執念』を読んで、再訪したいと思います。


岩宿ドームの入り口。

道長と式部

2009年11月23日 | 旧ブログ記事(文化財関係)
 昨日から連休を利用して北関東に来ています。

 kaneurikichiji は盛岡生まれですが、北関東のとある町で育ちました。今も親がこの町に住んでいて、時折実家に戻っています。

 今回は親に顔を見せることが主目的でしたが、茨城県立歴史館の特別展「かがやきにこめた権威と荘厳-金と銀の考古学」の見学を楽しみにしていました。雪が降る朝の盛岡を出発し、快晴の昼過ぎの水戸ついて、久々に訪れる(たぶん10年以上来ていなかったと思います)博物館を見学しました。

 展示の目玉は、(地元茨城としてはそうではないかもしれませんが)藤ノ木古墳の出土品と藤原道長の経筒ではないでしょうか。kaneurikichiji が藤原道長の経筒を見るのはここ1年で2・3回目です。おそらく、展示の企画担当者は「目玉」になると思っているのでしょう。

 kaneurikichiji も何度見ても当時の信仰のあり方に思いを巡らすことができる稀有な資料だと思っていますが、今回の展示で世間的にはそう感じる人だけではないということを痛感しました。
 というのも、経筒をじっくり眺めていたときのことです。なんだかせわしなく資料を見ている母親と女の子が近づいてきて、1秒ほど経筒を見ていった言葉を聞いたからです。

 「ふ~ん。何これ。」

 「望月の欠けたることもなしと思えば」と詠んだ道長も形なしです。

 けれども、藤原道長に対する知識の欠如について、kaneurikichiji は知っていたので、母親の「ふ~ん。何これ。」という発言は違和感はありませんでした。

 というのも、長者ヶ原廃寺跡の説明をしていて、歴史研究者が思っているほど藤原道長の知名度は高くないと知っていたからです。

 長者ヶ原廃寺跡は、今から1000年前、ちょうど藤原道長と同時代です。

 kaneurikichiji は遺跡に来て下さった方に説明する時、長者ヶ原廃寺跡の年代を具体的にイメージしてもらおうと同時代の有名人(と思われる)名前をあげます。
 政治的には摂関政治全盛期なので、まず藤原道長をあげます。けれども大人も子供もあまりピンとこないようです(歴史が好きな方でも同じです)。
 次に「源氏物語の作者の紫式部は知っていますか?」と訪ねると十中八九の方が「知っていると答えます」。
 面白いのは、「藤原頼通は知っていますか?」と聞くと「・・・」と反応はよくありません。けれども、「宇治の平等院鳳凰堂を造った人です」というとそれなら分かるというのです。
 つまり、一般的に政治家よりも文化的な功績を残した人物の方が知名度が高いようです。

 案外千年後、鳩山由紀夫より村上春樹の方が知名度が高いのかもしれませんね。

空撮を実施しました

2009年11月20日 | 旧ブログ記事(長者ヶ原廃寺跡・衣川関係)
 ここ数日は雨も(それほど)降らなかったので、今日、空撮を実施しました。10時頃は晴れ間も見えましたが、お昼前後に実施する旨、業者さんに伝えていたので曇りの中での撮影となりました。
 夏から初秋にかけては曇りの方が写真撮影にはよい場合がありますが、この時期だと少しでも晴れ間があった方がよかったのですが、こればかりは仕方ありません。

 これまで長者ヶ原廃寺跡で4回空撮を実施し 築地塀跡や建物跡を真上から撮影した写真は、発掘調査の記録写真としては十分なものです。ただ、毎年、同時に遺跡の(ほぼ)全体と周辺の景観を同時に撮影しているのですが、満足できたものは去年のものだけです(11月11日に掲載しているのがそれです)。

 撮影の時期は、06年は10月下旬、07年は10月中旬、08年は9月下旬だったので、やはり10月上旬までに実施しないと(記録保存としての写真とは別な意味で、例えばポスターに使えるような)よい写真は撮影できないのでしょう。

 これまでの経験でそのことは十分分かっているのですが、よい時季に空撮を実施できるかどうかは調査の進行状況によるので仕方ありません。
 今年についていえば、稲刈り終了後でないと着手できない調査地点があったため着手がこれまでで一番遅い9月からとなってしまったので、全体の進行が遅れたわけです。

 来年は7月から調査開始予定なので、よい写真が撮れるといいのですが。


東築地跡の撮影状況。中央に写っているのがラジコンヘリコプター。左隅に見えるのが操縦している人です。ラジコンヘリコプターの高度は低く見えるかもしれませんが、これでも20m前後の高さです。

今季一番の冷え込み

2009年11月19日 | 旧ブログ記事(長者ヶ原廃寺跡・衣川関係)
 今日は現地説明会の日より冷え込みました。東京は真冬並の寒さだったようですが、こちらは平年並みといったところでしょうか。

 ここ数日は、雨が降っては水を汲み、また降られては汲み上げていた気がします。

 昨日の夜の雨はそれほど強くなかったようですが、それでも今朝遺跡に行ってみると、水がたまっている所がありました。ただ、調査予算の関係もあり、一日でも早く埋め戻し作業をしたいので、明日空撮を決行することにしました。
 必ず撮影したいと思っていた場所はきれいになったので、雨続きの天候を考えれば満足しなければならないでしょう。

 ここのところ、寒い中水汲みばかりだった作業員さんには、感謝、感謝です。

 今日は遺跡から雪に覆われた栗駒山がきれいに見えました。

 明日もこんな天気だといいのですが・・・・。


 
遺跡から見えた栗駒山。手前の石は本堂後の礎石。