自分の周りの空を写します
北東気流の街に生まれて
追憶の「6割理論」
その時に僕が以前、いろいろな人と考え出した「6割理論」の話になった。
部屋に帰り、もう一度「6割理論」を読み返した。
僕が必要としているのは、まさにこれだと思った。
脳天気予報士の6割理論
ウエザーマン H.O
謙虚さ、やわらかい、わくわくする、進化成長する理論
「6割理論」
*自分でやったことが6割出来ていれば、残りの4割が納得しなくても良しとする
今までにやりたいことをやってきたと思えれば、そう言える。段々と喜びが増えてくる。
* 友人作りにも6割を求める
相手にも自分が6割だけを求めていると分かってもらえると、楽につきあえる。
(相手を1回のことだけで判断しない、決め付けない 自分の欠点 やわらかいつきあい、徐々に仲を深めていければいい)
(相手も物事も6割の良いところを見て、4割の悪いところを見ない)
* 自分の見ているもの、分かっているものは実際の6割しか見えていないと知る
決め付けない、謙虚に
(宇宙の中には見えていない、こんな驚きもあるんだ)
(4割のまだ見ていないものが楽しみ。わくわくする)
* 全部は出来ない、6割のやれる事を一生懸命にやる
(今までの自分が一番大事にしてきた姿勢 でも出来ないと決め付けない)
少しずつ良くなっていく。あきらめとは違う。生きていくのが楽しくなる。わくわくしながら生活出来る
* そして4割理論 (6割理論の裏)
相手の言いたくても言えない、4割の気持ちを想像して思いやる
雲を見ると空気の流れが見える。雲だけが目に見えるけれど、みんな動いている。
自分自身が6割理論なのでは・・・。本気で全力でやるけど、その結果は真剣6割、抜けている
のが4割。
おもしろいものを探しながら生きていこう。楽しみを見つけ出しながら生活しよう
自分でやりたいことはとことんやって、人づきあいではある程度で良しとする。
これをわかってくれて有難う(全部は分かるはずが無い)
「沖縄の衝撃 沖縄へ作業所で研修旅行に行った」
海で熱帯魚が群れて泳いでいた。水がきれいすぎて信じられなかった。別世界、別の宇宙 そこに自分も泳いでいた。こんな世界もあるんだと知り、今あるものだけで生きていこうとしていた自分に気がついた。もっと多く、大きく新らしいものも求めていこう。人生止まっていた。歳をとるには早すぎる。おもしろいものだな旅行も。皆とだから出来た。自分で一生懸命にやっていけば手伝ってくれる、友達も出来る、音楽でも気象でもそうだった。
支援センターなどは生活の基盤 おだやか 6割
自分のやりたいことをやるのが生活の中心 一生懸命 500パーセント
「1ミリ理論」
「これだけは」にこだわる。「これだけは」があれば他は不満でもOK
今まで自分が一番大切にしてきた姿勢、生き方(ブルース・スプリングスティーン、気象予報士、)
漠然とした抽象的なイメージ外見より、実際のひとりの人、こだわるものが大切。
友達もごく少しの信頼する人が出来ればいい。とことん、こだわるものに打ち込めればそれでいい。自分は他はだめでも「これだけは」自信があると、音楽を聴いて、空を眺めて、「これだけは」の話を信頼する人に話す。充実した生活が出来る。自分の価値感、自分の達成感が大切。
そして最近、近くの海に行って、海と空を眺めてぶつぶつ言っていたら思いついた。よく受かったもんだよな気象予報士。勉強していた時は大変だったけれど充実していた。息抜きでデイケアに来ていた。挑戦するものを作ろう。支援センターなどは休む場、サポートの場、練習の場。大事な場は自分が作る。気持ちの向くままに、信じる人を信じて進んでいこう。自分の人生、自分のやりたいように生きよう。他人の顔色気にして一生終わっちゃうよ。「今は行かなくなってしまった気象予報士会の勉強会にもう一度参加しよう。」もう一度挑戦する。その息抜きにデイケアなどを使おう。
「三寒四温の法則」
無理して合わそうとしない。自然に合う。合う相手には、合う時には。
その日だけにこだわらない。そのうちによくなる。
ブルース・スプリングスティーンが前回来日した時のインタビューでの話
「得ようとすると失うという恐れの気持ちも生まれてくる。それは自然なことです。でも、得ようとすることが生きているということ」
僕はいつまでも青臭く夢を語っていたい。以前書いた文章を自分に言い聞かせながらまとめてみた。そして気がついた、自分を失くしていたことに。僕は自分を笑うユーモアを持っていたい。
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ブルース・スプリングスティーン自伝本「Born To Run」の感想その10
ブルース・スプリングスティーンはスティール・ミルでのある程度の成功の後、
ニュージャージーの海岸での生活を2年間程送った。
そこで1st,2ndアルバムの原型を作ったようだ。
スティール・ミルのギター・ソロを弾きならしたノリのある音楽から曲重視へと変わっていく。
そしてブルース・スプリングスティーン&Eストリート・バンドの運営の基本、
ブルースの言う民主的独裁主義を作った。
ブルースが重要な決定は自分が全て行い、メンバーは許される範囲内での意見を言う。
そしてブルースが全責任を負う。
これによりバンド内の意見対立は無くなったと書いてあった。
確かにいろいろなバンドがバンド内の意見対立で解散するのが多い中、
Eストリート・バンドは途中休止はあったけれど40年以上続いている。
そこにはブルースの絶対的な中心位置があるからなのだと僕は思う。
僕は少しブルースが偉そうにし過ぎと感じることもあるけれど、バンドを維持していくには大切なことなのかなと思いました。
そうしてブルースはスティール・ミルから卒業して現在のブルース・スプリングスティーンの音楽へと進んでいったようだ。
この頃に高校生のパティに会い、そしてブルースの生涯の友、クラレンス・クレモンスと出会った。
The Ballad of Jesse James Bruce Springsteen Band
ギターソロもあるけれど今のブルース・スプリングスティーンの音楽、曲重視になってきたと感じた。
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