今日が、その日です。
16年前の今頃、私は検査の真っ最中でしょうね。
この時の記憶が無いから、意識レベル低かったのでしょう。
発症がてんかん様痙攣として出た関係で、後遺症にも痙攣が残りました
最初の大きな2発の発作の時は、意識が無くなったんだけど、
後遺症の痙攣は、意識があるのに、身体が固まって動かないし、
痺れるの…
周りが「大丈夫?」とか、声をかけてるのが分かるのに、話せなくなるの
そして、寝てる間に、私の意識の無い時(ぐっすり寝てる)に
身体がガタガタ震えだすやつもありました。
こいつが来た時には、隣で寝ている夫には悪夢の再来だったようです
ICUに入ったのが深夜。詳しい検査は翌朝になったそうです。
朝一で撮ったCTには、素人の夫が見ても、ヤバイと思える写真があったんだって。
ご存知の方も多いかと思いますが、脳のCT画像って、
クルミを真っ二つに割ったような絵になります
左右の脳を分ける線が真ん中に真っ直ぐ入ってるのが普通です。
夫が見たのは、右脳が腫れ上がって、真ん中の線がグニャ~と
左脳の方に曲がり込んでたんだって
血栓で詰まった所から出血を起こしていて、場所が悪い
「8:2の確率での覚悟をして下さい」と言われたらしい
「助けて下さい、お願いします」としか、
夫には言えないですよね。お医者さんも「最善を尽くします」としか…。
実家の両親も、孫が生まれて喜んだと思ったら、今度は娘が死に掛けてるって、
夢見てる感じだったろうね…。
当の本人は意識が無くて眠ってるんだからさ
後で、上の2人の子供達に聞いた話しだと、
「最後になるかもしれないから」って、小さい子は規則では入れないのに、
長男と長女は、ICUの私のベッドサイドまで来たんだって。
「『お母さん、起きてよ』」って大声で言ったのに、お母さんは目を開けなかった」って
これを聞いた時には、息が詰まった
「お母さんは触ったら温かかったよ。揺さぶったけど目を開けんかった」とも。
子供達は、保育所に通ってたのね。その日に限って、お迎えが夫(父親)でなく
義父(おじいちゃん)が行った訳。
保育所には、私の事を知らせていなかったので、
先生達は見知らぬ義父のお迎えに戸惑われ、
子供達が「お祖父ちゃんだ」と言うのと、義父からの事情説明で
帰宅、となったんだそうです。
当時、団地の市営のアパートに住んでいましたが、
ご近所さんだって、“赤ん坊連れて帰って来る”っていう感覚ですもん。
事情が知れた後は、そりゃ、噂が先行しますわよ。
2週間もICUにいたでしょ。「喪服の用意せんでいいかな?」って
話しもしていた、と後でお見舞いに来られた方に聞きました。
脳外科では、やれるとなれば、即手術するみたいですが、
私の場合、メスを入れると、もっと出血するから無理との事で
薬も使いながら、意識の無い状態で様子を診てたんですね。
家族は2週間も針のムシロ(これも今や死語ですか?)の上だったのです。
申し訳ない気持ちでいっぱいでした(モチ、意識戻ってからね)
たしか、9/15に脳外科病棟の個室に移りました。
今日はここまで
次はICUにいる時の事を書きます。
意識無かったんですが、けっこう面白い話しがあるんですよ
今日は、夏休み最後って事で、ちょっと遠出をしてパークプレイスまで
映画を観に行って来ました
「STER WARSエピソードⅢシスの復讐」です。
次男は2回目でした。手帳提示で1000円×2=2000円
SWシリーズは、やっぱり大画面の劇場じゃなきゃね