三月八日の日曜日、最寄駅前の公園で、東日本大震災の慈善イベントがありました。
その時、露店販売された物産の収益が、被災地に寄付されるとのこと。
普通ですと、こんな行事が催されることなど知る由もなく、私は家事に勤しんでいたことでしょう。
それを知ったのは、前日の土曜日、次女宅に夕食に招かれた時のことです。
雨天で週末の野球練習が中止になると、時々声をかけてくれる次女のMちゃん
迎えに来てくれた車に乗り込み、次女宅に着いたのは6時を過ぎた頃でした。
いつものように食卓を囲んで、お喋りに花が咲く中、震災の慈善イベントの話題が突然出ました。
出たのには訳があります。
孫息子、K君の学年一同が、その催しに参加し、コーラスを披露するとのこと。
そして、最初の挨拶の言葉を、代表でK君が述べるようです。
それを知り、がぜんそのィベントに行く気になった祖母の私。
K君がとても意義ある会場で、どんな言葉を述べるのでしょう。
興味津々のうえ、そのような場所で、孫が活躍するだけで、私の胸は一杯になりました。
実は被爆者三世のK君。
「被爆者三世」なんて、私の造語かしら。
K君のママは、列記とした被爆者二世です。
広島に原爆投下時、乳児の私は三キロの地点で被爆しています。
今回のイベントは、福島原発事故のみならず、震災したすべての方々のご苦労を思い、開かれたものでしょうが。
今なお帰還できず、故郷から離れて暮らすご家族の辛苦を思うと、そのイベントで挨拶をする孫は、チョッピリでもふさわしい立場だったのかなあ~、と。
その孫の挨拶。
祖母の私ゆえ、身びいきなところがあるのは当然ですが、実に素晴らしいものでした。
司会者が、あまりの群集に
「僕は怖気づき緊張しています」
と冗談ぽく語っていましたが・・・・・・。
その群衆を前に、K君は、澄んだ通る可愛い声で、胸を張り堂々と。
その声は空を抜けるがごとく会場に響き、祖母の私は本当にびっくり。
感激しました。
野球のユニフォーム姿のままで
練習を抜けての参加です。
内容は、震災に触れたものではなく、駅前周辺の商店街のお店屋さんへの感謝の言葉だったように思います。
純な少年の思いが溢れた言葉は、私の胸に沁み入りました。
恐らく他の方々の心をも打ったにちがいありません。
その後の電話で次女から聞いた話によると、参加した子供たちは、周辺の商店街のお店を調べる学習課題に半年間取り組んできたとのこと。
職場体験もさせてもらったようでした。
その学習の成果の発表の場でもあったようです。
他の子供たちも、元気いっぱいにお店の宣伝もどきの言葉を感謝の心を込めて述べていました。
そのあと合唱。
その歌詞に、思わず目がウルウルしてしまいそうになった私です。
テレビをほとんど見ない私は知らないことでしたが、前回のNHKの朝の連続ドラマの主題歌だったようです。
曲名は「にじいろ」です。
出店では、漁港が大被害を受けた気仙沼のラーメンその他を、私は購入。
今なお、漁獲できる魚が制限されていると新聞で知ったばかりでしたので。
そのあと、私は募金コーナーで気持ちだけのものを手渡しました。
するとそのお礼のなんと多い事。
恐縮してしまった私です。
食パンは有名店の三斤分の購入券をいただきました。
なんだかか貰いすぎ。
私が寄付したのは、たったの千円ですのに。
今日の売り上げや募金が、被災者のお役に立つことをひたすら祈っています。
震災から4年が経過しましたが、復興はまだまだ道半ばのようですね。
復旧作業のための人材も資材も不足し、価格の高騰も、復興の妨げになっているようです。
原発事故の後始末のめどがほとんど立っていないようで、今後どうなるのでしょう。
オリンピックの東京開催が決まった時、とても複雑な心境になった私ですが・・・・・・・
世界中から訪れた観光客やアスリートたちは、きっと東北に足を延ばす方が多いに違いありません。
その時に、さすがに日本といわれるような目覚ましい復興を遂げた姿に東北が変わっていてほしいものです。
インフラなどの表だった所だけでなく、被災者の方々が夢を抱けるような復興を隅々までも・・・・・・・。
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