今日が一番素敵

丁寧な暮らしを心がけながら、日々、折々のの心模様を素直に語ります。
今が一番素敵との思いを込めて。

娘達が中国のハルピンへ

2017-09-18 07:20:12 | 日記

連休の期間、娘達は、中国へ旅行に出かけています。

夫が幼児の頃過ごした、当時満州国の一都市だったハルピンへ、と。

アメリカ在住の義姉と甥が一緒です。

 

義父は、第二次大戦前、満州に移り、彼の地で病院を経営していました。

引揚げで大変な苦労をしたであろうことは、想像に難くありません。

けれど、ハルピンの暮らしは、とても恵まれて優雅なものだったようです。

ですから、姉上にとっては、懐かしい地でもあられるのでしょう。

亡き弟の娘達と自分の息子が同行しての、この度の思い出の地を巡る旅行。

姉上にとって、この上なく、幸せなことであったに違いありません。

Yさんも、天国でさぞ喜んでいたことでしょう。

 

私は行きたくても、今の足ではどうすることもできません。

たとえ、健康体でも、遠慮したと思いますが。。

四人の微笑ましい三泊四日の旅の様子が目に映り、それだけで胸がいっぱいになってきます。

今はお土産話を楽しみにしているところです。

 

 

次女は、今のシーズン、イベントも多く、広報の仕事は多忙を極める時。

受験生も抱えているため、この提案があった時は、ためらいも大きかったようです。

でも出かける数日前に会った時には、とても楽しみにしている、と話していました。

 

商社に勤務していたころ、中国の大連に出張したことがあるようです。

その時、祖父のハルピン暮らしの話をすると、駐在員の方が、その当時日本人が住んでいた住宅街に案内してくださったとのこと。

とても閑静な住宅地で、私の実家のような洋館が付いた日本家屋が建ち並んでいたそうです。

実家に似た家と言われた途端、私の目には、その光景がはっきりと浮かんできました。

 

ハルピンの街
yahooの画像を拝借しました。 

 

義父は、ハルピンから引き揚げ時の苦労を語ることはありませんでした。

私の両親が被爆した当時の話をほとんどしなかったように、

三歳と七歳になる幼子たちのの手を引き、中国大陸を横断し、日本にたどり着いた時の辛酸は想像を絶するものだったはずです。

その後、廃墟となった広島に戻り、開業した父。

郷里の医師会の会長にもなり、大変活躍した人でした。

 

恐らく娘達は、お姉さまから、私が知らない、当時の夫の家族の思い出話を色々聞かせてもらっていることでしょう。

掛け替えのない、良き時間を過ごしてしているに違いありません。

想像するだけで、心温まる思いがしてきます。

 

実を言うと、義姉は、私はちょっと苦手な人。

聡明で、とても美しい方。

夫の葬儀の日に妹の娘のKちゃんが、「きれい!」と言って、その美しさに感嘆したほどです。

婚されて間もなく、米国の研究所の仕事に就かれたご主人さまと共に、シカゴに居を構え、今はハワイで老後を悠々自適にお暮らしです。

 

何故私が苦手かと申しますと、若い頃、善意で一生懸命やったことが誤解され、一悶着ありました。

実は、私たち家族は帰省すると、私の実家に泊まるのが常でした。。

夫のYさんもそうでした。

Yさんは、私の実家は余程居心地が良かったのでしょうか。

或る日、「養子になってもいい」と冗談で言ったようです。

それを、半ば真に受け留められた事が発端。

そのあたりから、義姉さまの雲行きが怪しくなっていきました。

夫は、本当に冗談で言っただけだったのですけれどね。

 

義父の病院は街の中心地にあり、この教会が近かったようです。

 

帰省時の滞在場所が、いつも私の実家だったのには、訳がありました。

夫が大学入学前に亡くなった義母様に代わって一緒に暮らし、薬剤師として、家事と医療事務を一手に引き受けていた叔母様(義父の妹)の要望だったからです。

開業医として、日々多忙を極めた家で、孫と私に気を遣うお暮らしは無理だったのでしょう。

 

叔母の気持ちや義父の叔母への心配りは、とても理解できることでした。

正直のところ、私も母も、帰省時の実家の滞在を手放しで喜んでいました。

けれど姉上は、少々不満だったのかもしれません。

 

夫が養子になってもいい、と冗談で話した事と、私が善意で一生懸命姉のためにつくした或る事が、大誤解され、大変な怒りを買うことに。

相続の争いなどは皆無でしたのに、父と叔母がなくなってからは、ほとんどお付き合いがありませんでした。

それ以降は、お互いに嫌な思いはしていませんが。

義姉は、私に会うのを避け続けられました。

遠すぎるといった物理的要因もありましたけれど。

 

この度の微笑ましい旅行で、数十年のお姉さまとのブランクを、娘達が一気に埋めてくれたようような気がしています 

お姉さまの、弟の子供たちを見つめる、優しさに満ちた眼差しが想像され、私も幸せな気持ちで満たされています。

 

オードリー・ヘプバーンに似ているとまで、若い頃、言われたことがある義姉さま。

この度の良き思い出を胸に、いつまでも美しくお健やかで。

ますます充実したお幸せな余生をお暮らしになられますよう、祈って止みません。

 

       

 

台風の通過地点にお住いの方々は、御無事でいらっしゃいましたでしょうか。

被害がないことを祈るばかりです。

当地も昨夜は激しい風が荒れ狂っていましたが、朝が明けた今は、日差しも差し始めています。

これから、台風を迎える方々は、くれぐれもご注意くださいませ。

 

墓参の帰広などが控えていますので、しばらくブログの更新はお休みさせていただきます。

 

にほんブログ村 シニア日記ブログへ 
にほんブログ村

  ご訪問、温かな応援、本当に有難うございます。

    

  花のように泉のように

 

 

 

 

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする