今日が一番素敵

丁寧な暮らしを心がけながら、日々、折々のの心模様を素直に語ります。
今が一番素敵との思いを込めて。

人生はいろいろ

2017-09-22 07:16:42 | 人生

この度見舞われた不運な出来事で、秋のお彼岸の夫の墓参が叶わなくなりました。

けれど、お盆時の墓参は、この逆で幸運に恵まれた私です。

人生はいろいろ。

良い時もあれば、悪い時もある。

それを改めて実感した出来事でした。

 

今回の病(?病と言えるのかどうか)について詳述する前に、腰部脊柱管狭窄症にかかり始めの頃に、一度遡っておきたいと思います。

その症状が現れ始めたのは、七月の中旬の事でした。

突然左脚が痛み始めたのです。

初めの内は、筋肉痛程度に思って、さほど気にかけていませんでした。

ところが、一向に回復の兆しが見えず、次第に痛みが強くなっていきました。

連夜、真夜中にこむら返りがおきました。

夜中に、脚の痛みで、目が覚めることも度々ありました。

 

これはただ事ではない、と思い始めた私です。

痛む足を我慢して孫宅には週二度ほど通っていましたが、ついに我慢できなくなって整形外科医院に。

幸いにも、孫のマンションのすぐそばに、その医院がありました。

 

 私の骨量は私の年代の平均値より少し上。
これでも、先生は、十分な数値ですよ、とほめて下さいました。
それにしても、女性と男性の骨量の差にびっくりです。

 

診察を受け、レントゲンも撮りました。

その結果は、圧迫骨折が原因です、との診断。

私は数年前にも、同じ症状で、火柱が体を突き抜けるような激痛に幾度も襲われた事があります。

また圧迫骨折と言われ、なんだかぞっとしてしまいました。

脊柱の骨がぽきぽき折れて行く自分の体をイメージしたからです。

 

先生に尋ねました。

「前に骨折したところと、同じ個所でしょうか?」と。

ところが、先生の答えは、何だか曖昧。

その三日後に、この医院の紹介で、MRI専門のクリニックに出かけました。

届いたMRIの画像を見ながらの、先生の診断は、「かなり強度のヘルニアです」と変わりました。

私の頭の中は、クエッションマークがいっぱい。

「圧迫骨折?」「ヘルニア?」

どちらが本当なの?、と。

 

原因はぼやけたままでしたが、幸いにも服薬のお蔭か、症状はみるみるよくなりました。

すっかり完治したのでは、と思われるほどに。

その喜ばしい状態で、お盆を迎えた私です。

今回と違い、なんという幸運でしょう。

人生いろいろの冒頭の実感は、このことを指します。

この時は、幸運に恵まれました。

 

体に自信を取り戻した私は、心弾ませて、夫の菩提寺がある広島へ、と一泊二日の旅行に出かけました。

脚の痛みに見舞われることも、その間一度もありませんでした。

夫の墓参を無事済ませ、平和公園の近くのホテルに宿泊。

翌朝は、早朝に食事を済ませ、数時間かけて平和公園を散策しました。

そして、午後過ぎの新幹線で、元気に帰京した私です。

 

 

ところがその翌日からでしたでしょうか。

また急に左脚が痛み始めました。

真夜中のこむら返りも頻繁に起き、ただ事ではない、と又思い始めた私です。

いつもの整形外科医院に行きましたが、症状の原因が幾度も変わる医師の診断に不信感を抱き始めていた私です。

そのため、大病院の診察を受けたい旨伝え、紹介状を書いていただきました。

 

その病院に行く頃には、歩行が困難な状態になるまで症状が悪化していました。

妹に付き添ってもらい受けた診察の結果は、レントゲンの画像から、腰部脊柱管狭窄症と判明しました。

個人の医院の先生の診断によるヘルニアではありません、とのこと。

圧迫骨折の痕も過去のものでした。

 

大病院の診察を受けてよかった、と心から思った私です。

個人の医院と大病院では、レントゲン機器一つとっても、まるで規模が違います。

私が最初に診察を受けた医院は、次女のお婿さんの話では、評判が良くないと、言っていました。

お人柄はとてもいい先生なのですけれどね。

これまでの経緯を思い起こすと、彼の言っていることは本当かもしれません。

 

もう一つ言えることは、医療機器のスケールの相違です。

個人医院の簡易なレントゲン機器の画像では、三か所近くあった狭窄は見抜けないのかもしれません。

MRIの画像はどうだったのでしょうね?

病状が思わしくない時は、早めに大病院の診断を仰ぐことの大切さを痛感した私です。

 

しかし、そのあと言われたことが少々深刻で問題。

この症状の解決方法は手術しかない、と。

或は生活の質を落として、10割だったところを6割にして、保存療法の選択をする。

二つの道しかないようでした。

 

 

 手術をしない人の方が圧倒的に多いようでしたので、私もむろん、その選択をしました。

薬は飲んでも気休めにしかならないし、痛み止めは痛みが酷い時だけの服用を勧められました。

体にはあまり良くないようです。

 

私はその点は、言われるまでもなく承知していましたから、鎮静剤は診察を受ける前も、ほとんど使用しませんでした。

さてさて、その後、私の体は、どうなったでしょうか。

思いがけず、順調に回復していきました。

困難だった歩行も、次第にスムーズに歩けるように。

実は、このころからある方の勧めで、整骨院のお世話にもなるようになっていました。

そのおかげもあってか、しびれは相変らず続いていましたが、日常の生活の差し障りはほとんどありませんでした。

すっかり気を良くした私は、秋のお彼岸の墓参のための広島行きを決行することにしたのです。

 

ところが、帰広を目の前にした18日の朝、たいへんショッキングなハプニングに見舞われました、

明日に続きます。

 

 

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