人生ブンダバー

読書と音楽を中心に綴っていきます。
現在は、暇に飽かして、日々更新。

3/27 「元気かい」の休止 あざみ野耳鼻咽喉科 総理記者会見

2020-03-29 05:00:00 | Weblog

3月27日(金)、朝、メールをチェックしていたら、「(全国的な
?)新コロナウイルスの感染者増のため、3/28以降、当面、集会所
の利用を休止する」とのニュースが入ってきた。

これに伴い、あざみ野クラブ「ラウンジ懇話会」も「当面休止」だ
という。

「もしかしたら」と思い、郵便ポストを覗きに行くと、はたして
「みんなで体操 元気かい」あてに同様のレターが届いていた。

普段はボーッとしているが、一転「仕事モード」に切り替え(家内
には「話しかけないでっ」と言いつつ[笑])、早速、元気かいメ
ンバーにメールする。

こういうことはウワサが先行する前に、一刻も早く直接連絡するに
越したことはない。--「スピード第一」である。

ちなみに、4/22(水)のラウンジ懇話会は私が担当で「日本歌曲を
観賞しよう--清水脩」を行う予定になっていたが、おそらく無期
延期だろう。
畑中良輔先生、伊藤京子さんなどの歌唱を準備しつつあったが、ま
たの機会を待つことにしよう。


その後、あざみ野耳鼻咽喉科に電話。
「もしもし、こういう時期なので、診察なしで、いつもの花粉症の
薬をいただけないでしょうか」
「今年初めてですか?それだと診察を受けていただきませんと、
(処方箋は)お出しできなんですよ~」
「いえ、実は私は大丈夫なのですが、待合室が混雑しているといけ
ないと思いまして」
「大丈夫です!今はお一人しか待っておられませんから(笑)」
「分かりました(笑)。これから伺います」(やはりダメか[笑])

診察で、先生いわく、
「今年は?今までどうしてました?」
「あ、はい、去年の残りの薬を飲んでいました(笑)」
「ハ×3。結構ですよ(笑)。では、いつもの薬を出しましょう」



午後、元気かいメンバーでメールをやっておられない方13人へ、ポ
スティングといって、紙ベースの連絡を各ポストに投函する。

ゆっくりウォーキングでいい運動だ。--歩数3,000歩、35分間。
暖かく、風が強かった。



9:17


9:21 公園愛護会の皆さんのお世話によるもの。感謝!


9:21 チューリップも元気に


9:21 アジサイ


9:26 二丁目


9:27 路上教習が多い。


9:27


9:28


9:31


9:31 郵便局通り


9:33 あざみ野耳鼻咽喉科


9:34 待合室はガラガラ


9:38 ちらと読む。すぐに呼ばれた。


9:40 診察終了


9:48


9:49 孫の世代 どんどん大きくなるでしょう。


9:51


9:52 再び二丁目


9:58 アジサイ


10:00 集会所


10:00 「3/28より集会所の一般利用禁止」


10:03


10:05


10:06


10:08


10:08


10:09


10:09


10:10


10:11


10:11


10:12


10:14 桜越しに青葉さわい病院



<午後>


12:39


12:39


12:42


12:51 3-4地区


12:51 三丁目公園


12:52 3-2地区


12:57 三丁目東公園


12:59 3-1地区


13:04 4丁目へ遊歩道をゆっくり渡る。


13:04


13:05 あざみ野駅方向


13:10 あざみ野第一小学校の桜並木


13:11 4-3地区


13:13 同上


13:16 ハナズオウ

   --------------------------------------------

3/28(土)午後6時から安倍総理の記者会見実況。新型コロナウイル
ス対応--「戦いは長期戦覚悟」、「緊急事態宣言ではないが、瀬
戸際の状況」。

アメリカ大統領ではないが、都知事や総理がTV会見で都民や国民に
直接語り掛けるのはまことによいことではないかしらん。
新聞だと、「言葉のつまみ食い」というか、報道の論点の置き方が
新聞社によっていささか違ってくるからだ。
「新聞」の古くて新しい問題?
「新聞は事実を選ぶ」と言ったのは加藤周一だ。

思い出されるのは、「郵政解散」の小泉総理の「国民に直接問いた
い」と呼びかけた会見だ(H17(2005)/8/8夜)。あのライブ放送に
おける小泉総理は迫力があった。

さらに思い出されるのは、昭和47(1972)年6月17日の佐藤総理退
陣記者会見だ。--TV会見で「新聞は嫌いだ。私は国民に直接話し
たいんだ。新聞記者は出てってください」とやった。佐藤栄作は、
当時71歳だった。

この時、「一度、国民に直接語り掛けては?」とアイディアを出し
たのは浅利慶太(1933-2018)で、「おう、出て行ってやろうじゃ
ないか」と言ったのは毎日新聞の岸井成格(1944-2018。高校時代
は塾高相撲部のモサ?)と言われている。
余談だが、浅利も岸井も慶應出身で同じ年に亡くなっている。




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