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人生ブンダバー

読書と音楽を中心に綴っていきます。
現在は、暇に飽かして、日々更新。

わが母

2010-06-01 05:05:39 | Weblog
母は大正12(1923)年、東京の笹塚に生まれ、すぐ父親の勤務地大連に渡った。昭
和6(1931)年代々木上原に帰国。昭和8年小田原、昭和10年笄(こうがい)町と小
学生時代を送り、府立第六高女(現都立三田高校)に進んだ。昭和15年、卒業後は、
銀行と海軍省に勤務した。昭和16年、従兄弟が慶應にいた関係から塾歌の発表会を
聴いている。



昭和54年、私の父が亡くなり、やがて私が結婚して以来、87歳になる今日までずっ
と一人暮らしだった。昨年秋あたりペースメーカーを付けている心臓がなにかの拍
子で虚血状態になると認知症のような症状が出るようになった。

今年に入って、ちょっとした「事故」が起き、家内が週二三回、母の住む鷹番へ通
っていたが、結局この5月初旬、鷹番を引き払って、わが夫婦と同居するようになり、
三人の新しい生活が始まった。

ほどない、5月中旬になって、ある日大きな虚血状態から意識障害になり、救急車で
藤が丘の病院に入院した。医者は「このまま安定するでしょう」といい、いくら呼
びかけてもまったく反応なく、眠るばかり。一時は、最悪の場合を覚悟した。

ところが、入院4日目に血栓が溶けたか奇跡的に意識が戻り、よたよたながら歩け
るようにもなった。一方病院は、こうなったらここは救急病棟だから早く出てくだ
さいという。ほとほと困り果てたが、家内が走り回ってくれ、運よく転院先を見つ
けることができた。

母は、今、町田の転院先に入っている。転院先の病院の中では、点滴もなく、患者
で一番元気かもしれない。意識がなかった時のことはむろん覚えていない。




母が救急車で運ばれた藤が丘の病院 
受け入れ病院決定までには救急車の中で30分待たされた




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