「うつせみ和尚」のお説教

『うつせみ和尚の日記』二件の事故が元で『(複雑性)PTSD/鬱』になって
闘病、障害当事者として活動している者です。

読まずに死ねるか!! 「書籍紹介 『キン肉マン第17巻』数十年ぶりのマンガ」

2023年04月07日 09時45分38秒 | 読まずに死ねるか!(書籍紹介)
おそらく、このブログでマンガを紹介するのは初めてだと思いますが、私がマンガを手にするのは小学校高学年以来だと思います。小学生の時は「コロコロコミック」や「週刊少年ジャンプ」でドラえもん、オバケのQ太郎、キン肉マンなどを読んでいましたが北斗の拳は描写がグロいのと暴力シーンが多いので付いていけませんでした…。
で、なぜ今さらキン肉マンで、なぜ第17巻目からなのかと申しますと、Twitterで作者をフォローするようになって、イベントや最新の連載などの情報が毎日更新されていて、徐々に「疼いてきた」という感じです。昨日、書店に行って思わず手にしてしまいました。もう一冊堅めの本も買いました。子供の頃、TVでゴールデンタイムに「全日本プロレス中継」が始まって夢中になって、そんな時にキン肉マンに出会って読み続けました。でも、マンガ全般に興味が薄れていって、キン肉マンにも興味が薄れていって「マンガ卒業」になりました。その止める前に好きなシリーズが『夢の超人タッグ編』でした。それが始まるのが「第17巻」というわけです。
思ったのですがマンガの単行本の安さです。子供の時、買っていた頃は200円後半?~300円台くらいだったように思うのですが、昨日手にとって裏面を見たとき「えっ!?」と驚いてしまいました。
このまま買い続けるかは思案中です。引っ越して間もなくて「ものを増やさない」という方針だし、棚はいっぱいだし、Webで読めば良いのかも知れませんが、そういうの嫌いでね。
ど~しよ




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読まずに死ねるか!! (書評)「日本の古代豪族100 水谷千秋 著 講談社現代新書」

2023年03月18日 17時31分51秒 | 読まずに死ねるか!(書籍紹介)
去年「NHK BSプレミアム 英雄たちの選択 継体天皇(大王)」の回ですっかり俄古代史ファンになってしまって、継体天皇陵/今城塚古墳(大阪 高槻市)にいってきたほどで、さらに大阪 枚方市にある「継体天皇樟葉宮跡伝承地(交野天神境内)」に行ってきたほどで、ずいぶんのめり込んでおります。
私自身も身辺も慌ただしくなってきて「聖地巡礼」に出かけるのが難しくなってきて「せめて本だけでも」と数冊買い込みました。その皮切りが本書になります。
「新書」ではあるのですが辞書的な面があって、著者もあとがきで書いていましたがご苦労が多かったようです。
なにせ100の豪族を「古事記・日本書紀」のみならず、「三国志」や「続日本紀(しょくにほんぎ)」その他多くの書籍をしらべたり、また以上の資料の信憑性は疑うべきものが多く、それぞれの記述を照らし合わせて、推理することも必要です。
まさに「労作」「力作」といえます。

まっ、読んでいて漢字が現代読みではないので私としては苦労しました…。



この本、読まずに死ねるか!


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読まずに死ねるか!(書評) 「『老い』著シモーヌ・ド・ボーヴォワールまだ読み始め 『老いは汚い]か?』」

2022年09月19日 21時18分17秒 | 読まずに死ねるか!(書籍紹介)
世間は年老いても社会的地位が高い者、「賢者」とのイメージがある年長者に「ああいうふうになりたいからマネをしよう」となったり、年長者が本を出すとベストセラーになることはそう珍しいことではない。
高齢者は「知恵者」であったり「暴走の抑止力」の役割を担っていた部分があるが、今や「今も若い高齢者」という自己矛盾を内包させて現実逃避して自らの老いをないものとするよう自己暗示に励んでいることに虚しさを感じないことは「恥知らず」のレッテルを貼られても致し方ないが、こういう考えの「若い高齢者」を礼賛する若者は少なくない。若者は「自分は歳をとらない」という一度は若い頃考えていて、そのまま考えが変わらない人や「自分の衰え」に気付いて『人は朽ちるもの』と気付く人もいる。
スフィンクスのなぞなぞ(ギリシャ神話より)フェキオン山の スフィンクス が通りかかる人間に問いかけたという「朝は四本足、昼は二本足、夕は三本足。. この生き物は何か?. 」というなぞなぞは世界的に有名である。
ご存じの方は多いと思いますが答えは「人・人間」であります。
赤ん坊の時は這い這いするので手足を使っているので「四本」
這い這いが終わり歩くようになると「二本」
年老いて杖を突くようになると「三本」
というわけですが、人間は時間の経過と共に変化していくものです。まっ、最近は「二本足から即ベッド」が多いのかも知れませんが、一時期「ぴんぴんコロリ」っていうのも流行りましたね。『逝くときは元気なときに』という矛盾ですよね、サプリや青汁なんか飲んで長らえる、長らえられるのかわかりませんが…。体が弱って正常に働かなくなると「こんなハズでは無かった」と思うのでしょうか?施設や病院に追いやられ自宅で死ぬことも許されず人生を終える。そんなことを子供の指示で行われる。本人の意思は抜きで・・・。

人間の「老いた人」への対処は民族の風習・風土によって大きく違うようです。本書では膨大な調査や資料で語られています。日本では何回かリメイクされた「楢山節考」は実際の風習を元に書かれたようです。このことも本書の中で取り上げられています。また、調査で明らかにされた少数民族の中では「老い(老人)」の存在は二分化されていて、「老いへの尊敬と畏怖」、「隆盛期を終えた廃物」(この表現は私が誇張しています)で「尊敬と畏怖」では老いてなお役割があり、かつ呪術的な力があるとされ、また子や孫から子孫繁栄をもたらしたという尊敬の念を持って亡くなるまで丁重な扱いを受ける。反対に「老い」を『役割を終えた者』『集団の中の厄介者』、『無駄な食い扶持』と認識される集団の中では、「自死」を求められたり、集団のことを考え、また先達の行いを見て自主的な「自死」をしたり、自ら家族から遠ざかって野垂れ死にしたり、食べ物も与えられず亡くなるようなことがあり、そのことを自分の身に置き換えると、少なくとも一日は頭から離れなくなりそうです。(笑)
(五十まえにして片付ける人の手間を考えて整理しようかな…)
自分が親や祖父母になると「自分のお陰でみんなここまでに成ったんだ」という『幻想』は現在の日本では捨てた方が良いようです。多くは前述したように病院→施設へ送り込まれそこで亡くなると言うのは「常識化」されているのですが、いざ我が身にそれがもたらされるとどう感じるのか?自分の親に対して終末期をどのような形で対応するのかで自分たちの子供達が自分が終末期になった時に反映されるのではないかと思います。

また次の中間発表に続きます。







読まずに死ねるか!(書評) 「中世社会のはじまり シリーズ日本中世史1 五味文彦 著」

2022年06月26日 19時14分47秒 | 読まずに死ねるか!(書籍紹介)
え〜、今の大河ドラマ「鎌倉殿の十三人」以前から『中世史ブーム』みたいなところがありましたが、私が小学生の頃に歴史に興味を持ったのも「戦国史」の中世史でした。まぁ、取っ付きやすいし興味を持ちやすいと思います。

そんな本書は友人から頂いたもので、読みかけで入院して入院から四日目の今日(2022/6/26)に読了でございます_(._.)_浅い知識があったのも手伝ってか読みやすかったと思います。細かく区切ってあったし、言葉も平易だし、昨今(といっても10年ほどかな?(-_-;))私が興味を持ったときと違う言葉が使われていたり、鎌倉幕府の成立年なんかも言及はありませんでしたが、読者に「この年じゃね?(キムタク風)」と、いろいろ考えさせるところもありました。(鎌倉幕府成立年にはいまだ議論は尽くされておりません)
中世の政治/社会/風俗がどのような変遷を辿っていったか?政治家/為政者はどのように関わっていったのか?
祇園祭の始まりなど…。
ちょっと話のネタにできることがありましたよ。


この本、読まずに死ねるか!!






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読まずに死ねるか!! 「東京裁判 下 児島襄 著 中公新書」

2022年05月25日 05時36分13秒 | 読まずに死ねるか!(書籍紹介)

こんな時間に更新でございます。(書き始め5/25 4:25)まぁ不眠でね、睡眠状態がすこぶる悪い。睡眠時間が一日平均3~4時間ぐらいでしょうか?やってられません(~_~;)
まっ、そんな事はさておき、書籍紹介でございます。
この新書は上・下巻で一冊はそんなにページ数はありませんので、気軽に手にとって頂きたいと思います(興味があればですが…)このブログでは「東京裁判」について何度か書いてきましたが、この本を読んで(まだ読了しておりませんが)、下巻の後半になるにつれて、やはり「戦勝国が敗戦国を裁くという不公正さ」、されに突っ込めば「人が人を裁いていいのか?」という裁判制度自体に疑問を感じざるを得ないところまで考えてしまいます。「じゃあ、『神様か、仏さん呼んでくるか?』」みたいな馬鹿なツッコミはしないでください。人間の考え、この場合で言えば「倫理観」や「公正さ」と思いますが、第二次世界大戦の興奮冷めやらぬ時期に、戦勝国各国が世界の各所でA,B,C級に戦争犯罪のジャンルわけしてやるわけですから「公正さ」は無いと思います。
近年、日本で様々な民事・刑事裁判の報道がされて、少なからず「冤罪事件」も起きています。判決の取り消しの裁判を起こすための手続きや裁判に至るための困難さは「検事・裁判所の判断に間違いはない」という前提上で判決が下されるわけですが「人間だから、捜査や判事の判断に間違いがあるかも」という前提に無いわけです。じゃあ、「裁判官は神や仏か?」といえば生身の人間です。「検事・裁判官は『完全無欠』か?」といえば違いますよね。例えば、ネクタイを締めて出勤するときに一回目でちゃんと縛れなかったり、バスを乗り違えたり、日常の中に「ミス」はあるわけですから、検事・裁判官の判断全てが「BEST」なわけがありません。裁判制度自体の改正があっても良いと思います。
さて、「東京裁判」にもどりますが…この裁判はいままでの「国際法」や「戦争法」などに照らし合わせて行われていると思うでしょ?そうじゃないんですね。裁判官・検事・弁護士に至るまで「それぞれの出身国」の法律がバックボーンとなって判断しているところが多々見受けられます。「我が国アメリカの裁判に照らし合わせても…」って言う趣旨の発言は裁判の後半によく言われていますし、「国際法・戦争法の古さ」で現代に対応していないのも問題です。
世界期間の「国際連盟」は戦後直ぐの1946年には解散していますから、もう国際的に「時代遅れ」と「機能不全」があって、なにしろ世界大戦を止める事できなかったのですから、その存在意義もないようなものです。そんなわけで、「東京裁判」運営は、ほとんどマッカーサー率いるGHQが指示を出していて、ここでも「公平さ」を欠いています。この中でひとつ例を挙げますと、東條英機の検事側の評定(評価)のところでは、「侵略戦の立案指導者」などとあります。上手く言えませんが、侵略や殺人は戦勝国・敗戦国を行っており、いわば「お互い様」なので、それを「裁く側/裁かれる側」に分けるのは矛盾を孕んでいますし、これは右翼の方の怒られそうですが、侵略などの戦争行為に関して最終的に判断するのは日本では「昭和天皇」だったわけです。結果、なんも責任問われる事なく、「現場責任者」だけが裁かれ、「天皇は操られていた」といった風なことで裁判は終わっている。このことはマッカーサーが介入していて日本の各被告も「天皇が裁判に出廷することは避けたい」というい共通の認識で発言を歪曲したり、練習までして発言をコントロールしていたりします。途中からは「結末の決まった裁判」をしていて、同時期に行われていた「ニュルンベルク裁判」が速いペースで行われて終了したため、連合国側から矢の催促があり、裁判長のウェッブが焦りだした事も国際裁判の正当性を欠いている一因になっていると思います。「裁判の正当性が欠けている」として被告側の弁護士が辞任した事から見てもわかります。

日本側の被告では「大川周明」が、仮病をして裁判所側から「精神的に混乱を来して裁判を維持できない(趣旨)」責任を問われなかった事も詳しく調査をしていなかった「手落ち」とも言えます。「大川周明」って東京裁判で席の前に居た東條英機の頭を叩いた有名なおっさんです。

さまざまなところで「正当性」や「公正さ」、「連合国側からの圧力」で歪曲された裁判で各被告が判決を受けたわけです。責任は各被告にあると思いますが、さてそれが「正当な判断」で判決が下されたのか疑問はいっぱいです。

この本は緻密な取材により書かれたもので、終戦~戦後の「隠された歴史」を見る事が出来るので「東京裁判てさぁ~」って語る前に、読んでおきたい本です。


この本、読まずに死ねるか!!








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