今日は長岡病院でSAミーティングでした。
私はコーディネート役で隔週で参加しております。
約束は6月までということだったのですが、
「7月以降もお願いします」ということだったので、快諾してきました。
私としてはコーディネート役なので私から積極的に発言することはありません。
が、今日は、皆さん手詰まりの時があったのだったので、
私から一言、言わせていただいた。
Yさんの死についてだ。
それに合わせて自分の希死念慮についても言わせていただいた。
残された者の喪失感や空虚感。
どうやっても埋めつくせないものがある。
「時間」しかないのか。
そんな受動的な態度でいいのか?もっと、能動的な対応はできないのか、
まさに「暗中模索」である。
この手に病は「能動的な死」に出くわすことがままある。
周りの人間は堪え忍ぶしかないのか!?
課題である。
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私はコーディネート役で隔週で参加しております。
約束は6月までということだったのですが、
「7月以降もお願いします」ということだったので、快諾してきました。
私としてはコーディネート役なので私から積極的に発言することはありません。
が、今日は、皆さん手詰まりの時があったのだったので、
私から一言、言わせていただいた。
Yさんの死についてだ。
それに合わせて自分の希死念慮についても言わせていただいた。
残された者の喪失感や空虚感。
どうやっても埋めつくせないものがある。
「時間」しかないのか。
そんな受動的な態度でいいのか?もっと、能動的な対応はできないのか、
まさに「暗中模索」である。
この手に病は「能動的な死」に出くわすことがままある。
周りの人間は堪え忍ぶしかないのか!?
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