本当は無かった齢(よわい)四十三。
龍谷大學文学部佛教学科を卒業する際に「最後の関門」は、
なんと言っても「卒業論文」です。
もう覚えてないけど、大体の題目は「中国佛教の死生観」だったかな?
で、その論文の序章が「私は四十二、もしくは四十三歳までには死にます」というものだった。
もう、大学時代 (2007年)2008~2012年の間は、
「うつの海」でおぼれていた時代で、毎日社会人入学生などのは、
「死にたい・死にたい」と念仏のようにいって困らせていたものです。
今は、社会人卒業生の幹事を請け負うまでになっています。
この希死念慮の海から這い出たのは、確か2014年くらいだったと思います。
でままだ、「自責の念」はありますが、今の状態は去年と比べてもずいぶん良くなっています。
砂で出来た城が波に何度となくさらされ、崩れていくような感覚です。
しかしまだ、「困ったやつだ俺って奴は」と思うことは健常者以上にあります。
その上、人並み以上の「倦怠感」も依然としてあります。
でも、四十二、三歳で死ぬこと無く今現在を生きております。m(_ _)m
今は自死することなく、寿命が来たなら「あぁ、終わりだな」と思うだけです。
ご心配を掛けた皆さま、空蝉<うつせみ>現人はまだ生きております。
よろしく!!
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龍谷大學文学部佛教学科を卒業する際に「最後の関門」は、
なんと言っても「卒業論文」です。
もう覚えてないけど、大体の題目は「中国佛教の死生観」だったかな?
で、その論文の序章が「私は四十二、もしくは四十三歳までには死にます」というものだった。
もう、大学時代 (2007年)2008~2012年の間は、
「うつの海」でおぼれていた時代で、毎日社会人入学生などのは、
「死にたい・死にたい」と念仏のようにいって困らせていたものです。
今は、社会人卒業生の幹事を請け負うまでになっています。
この希死念慮の海から這い出たのは、確か2014年くらいだったと思います。
でままだ、「自責の念」はありますが、今の状態は去年と比べてもずいぶん良くなっています。
砂で出来た城が波に何度となくさらされ、崩れていくような感覚です。
しかしまだ、「困ったやつだ俺って奴は」と思うことは健常者以上にあります。
その上、人並み以上の「倦怠感」も依然としてあります。
でも、四十二、三歳で死ぬこと無く今現在を生きております。m(_ _)m
今は自死することなく、寿命が来たなら「あぁ、終わりだな」と思うだけです。
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