今は浄土思想がちょっとした流行のようで、TVでもちょくちょくやっています。
特に「阿弥陀仏」の像を見ると、自然と手を合わせる方も多いようです。
今は「末法世界」なのか?
人間は「現状に不満」で良く言えば、「向上心」。
さて、それが人間をこの先「真の幸福」を得られるのでしょうか?
私は、この考えに甚だ疑問で「幸福とは妥協である」と思っている。
これは、「人間としての進歩の諦め」とも取られるかもしれないが、
べつにそのように見られても構わない。
例えば、「戦争」である。
今まで使われていなかった毒ガス使われたのが「第一次世界大戦」飛行機もそうである。
ロケット技術、潜水艦、原子爆弾が使われたのが「第二次世界大戦」。
『科学の進歩』は、幸福をもたらしたが、その反面・・・である。
今や「無人飛行機」が敵地の上空に侵犯し軍人ばかりか一般の国民へも爆弾を投下する。
その結果のひとつとして、ツインタワーへの突撃テロが起きた。
今は、トランプ大統領が「イスラム過激派を地球上から抹殺する」と息巻いているが、
アメリカという国はあまり学習力が無いらしい。
また、アメリカでそれも国連本部にでもテロをやられたらどうでしょう?
また、同じ事をするのでしょうか?
宗教もどの大きな宗教も「分派」して行き細分化が進んでいて、
教義も元々からは乖離したものも多い。
元は同じでも些細な教義の違いで対立し、命のやり取りを平気でやる。
それも「神の名の下に」という大義名分でだ。
佛教はその名の通り、本来「仏陀の教え」なのだが、今日本の99%は「大乗佛教」という
「仏陀」本来の教えから乖離していると私は思っている。
仏陀の言葉として、「偶像崇拝してはならぬ」と、説いているし
「仏陀自身を崇めてはならぬ」としている。
まっ、原型を止めていないのです。
今の宗教の多くは「経済」の波にもまれて、「拝金主義」になっている寺院も多い。
BMWを乗り回す坊主がいたり、フェラーリを乗り回す織田無道という人もいる。
よくあんなので檀家がついてくるな、と思いますが・・・。
「人間は弱い生き物なので、宗教は必要である」というのだが、
今、世界にある宗教ならわたしゃ要らぬ。