「また、何を言い出すんだ!」と言われるかもしれませんが・・・(^^;
これは「佛教学」、「西洋哲学」、「物理学」の世界では
『永遠の課題』と言ってもいい疑問です。
「時計が動いているじゃねぇか!!」と言われるかもしれませんが、
それは、ひとつの「目安」、「共同の仮の認識材料」とでも言いましょうか、
「共同」と言いましたが、これは「危うい認識」です。
お互いに同じ感覚であるか?
相手が時間の認識を持っているか?
大変怪しい世界です。
ちょっと、物理学などをかじった人は「ビックバーンから時間は生じた」と言う人もあるが
そんなの誰が認識したのか?
「今日は短く感じた!」とか、「嫌な時間が長く感じた。」などとは、
よく日常会話であることです。
本当にその人に流れる時は長かったのかもしれませんし、
そもそも時間など無く、それぞれの勝手な認識なのかもしれません。
佛教のごく一部の集団からは「刹那滅論」というのが出てきまして、
「1刹那=1/76秒」としています。
それとこれは佛教に広くある共通認識ですが「三世実有」という考え方である。
「あらゆる現象は、『過去』、『現在』、『未来』それぞれに存在する。」と言う考え方です。
これは原始仏教の「説一切有部」という佛教集団でいわれたことですが、
今の「寺の坊主」は、『佛教の哲学』など捨てて、毎日の浄財の勘定に熱心なようで、
学問的なことは「大学に任せておけ」と言わんばかりです。
「時間とは何なのか?有りや否や?」考え出すと寝られなくなります。
ただでさえ、不眠期なのに・・・
時間の無駄?
そんな事言わずに・・・