「うつせみ和尚」のお説教

『うつせみ和尚の日記』二件の事故が元で『(複雑性)PTSD/鬱』になって
闘病、障害当事者として活動している者です。

読まずに死ねるか!!(書評) 「面倒なので3冊まとめて書評」

2024年12月06日 19時02分28秒 | 読まずに死ねるか!(書籍紹介)
まぁ、「書評」と云っていますが、中途半端な小学生の感想文です。
技芸(アート)としてのカウンセリング入門  杉原保史 著 創元社
これは面白かった!以上!!
...というわけにいきませんので、感想ねこれニケ月ほど前なので記憶が曖昧ですが、もう一度パラパラと本を開き直しております。
何度か、カウンセリング関係の本を紹介していていますが、この本に関してはいろいろあるカウンセリングの学派を横断した本になります。本書の冒頭には「・・・私の考え方の顕著な特徴は、カウンセリングを技芸(アート)として見る見方にあります。・・・」カウンセラーの姿勢、聞く、応答する、理解、話すというような著者曰く「技芸(アート)」としながらも、私にとってはカウンセリングの王道と感じました。具体例や分かりやすい文面で書いてあるので、今後読み直していきたい本です。

心理学とは何なのか-人間を理解するために- 永田良昭 著 中公新書
私の体調不良もあってか終始馴染まずに読了した感じ。
最初に「心理学は占いではない」や「血液型性格判断否定」、さまざまな実験検証などの例を引きながら進められているのですが、「むずっ!」「頭に入ってこない」と苦痛に感じながら終わりましたとさチャンチャン。

北条氏の時代 本郷和人 著 文春新書
本郷先生の本は二冊目?ではありませんでした。以前に読んでいたのは、「頼朝と義時 呉座勇一 著 講談社現代新書」でした。同じ鎌倉物ですが本郷さんも専門は鎌倉時代。以前、放送大学で先輩の先生から専門外の時代の講義を当てられて、冒頭で「ぼくの専門では無い!」と言ってから講義されてました(笑)
本書は初代執権北条時政~最後の北条高時まで書かれていて、特に印象に残ったのは、独特のライバル排除法や実権を握りながら「将軍」にならなかった。枝分かれする北条分家と本流の「得宗家」との関わり。そしてなぜ北条高時の代に鎌倉幕府は滅んだのか?などなど、本郷さん独特の語り口で書いてあってあれよあれよという間に読了してしまいました。

カウンセリングの本を最近よく読んでいますが、友人と話しをしているときは「心を探ってやろう」とは思っておりません。そんなことしてたら心の安まる時間がありません(笑)
現在は、「被差別民関連本」、「精神医学系」、「カウンセリング系」の三本立てで読み進めております。だいたい三冊くらいを廻し読みするのが通常運転。以前は4冊、5冊を同時に読んでいた時期もありましたが、あまり時間も無いので、今は三冊で。




ん~、読まずに死ねるか!!








うつせみ演芸の時間 「『桂雀々さん死去、64歳「爆笑王」桂枝雀さんの弟子』-これから円熟味を出すハズだった東京在住の上方落語家」

2024年12月06日 14時19分27秒 | うつせみ「演芸の時間」
桂雀々さん死去』※gooニュースへ移動します。

桂雀々さんが、亡くなりました。
このブログでも何人かお笑いの方が亡くなったことを書いていますが、雀々さんに関しては、まだまだ若いといった感じです。雀々さんの師匠は二代目 桂枝雀さんで枝雀さんが自宅で自死されたときには、雀々さんが担いで横たわらせたということです。雀々さんの幼少期は過酷な環境で、父母が次々と居なくなって子供の頃から「自活」せざるを得ない生活をしてきたそうです。雀々さんの考えにも影響して、結婚した後もちょっと夫婦ケンカしたときには「もう、やめじゃ!」とすぐに結婚生活を投げてしまうような所があって、ずいぶん前に雀々さんを取り上げた番組で奥様が話していました。
え~、私も似たような感覚でお付き合いや友達が出来たときには「どうせ、この関係なんか長続きしないんだろ」と内心考えてしまう。となると、ちょっとしたトラブルがあったときに、やはり「もう、やめじゃ!」という考えになってしまって、修復ができる時期であったりタイミングであっても、分かっていながら見過ごしてしまう傾向があります。
さて、本論に戻してっと。
雀々さんは枝雀一門の中で一番、師匠に影響されているようです。枝雀さんが存命の時に雀々さんと名前を交換しようとしていて、枝雀さんが「私の枝雀をあげるさかい、雀々は私が名乗る。『雀々家雀々(じゃくじゃくやじゃくじゃく)』だ!これで子供から『あっ、雀々や!雀々!!』って云われるやろ!?」
という話しが残っています。この話しは上岡龍太郎さんが云ったとか云わないとかという話もありますが...。芸風は師匠の枝雀さん並ですから、ジェスチャーなども似ています。面白いので芸風に関しては問題無いと思いますが師匠の枝雀さんは当時の芸風に悩み、「今のままではいけない」と悩んだ末に自死されたということです。雀々さんがまだ生き続けるとしたら、芸風は今のままだったのか、更なる変化を起こすのか、「今となっては...」という話しですが、江戸落語では初代 林家三平、上方では枝雀と「爆笑派」は円熟期に入っていくと、いわゆるうるさ方の先輩や演芸評論家から変化を求められたり、自分でも「これで良いのか?」と悩むみたいです。亡くなった桂米朝さんが「これから枝雀は化ける(芸風が変わる)」と云っていました。枝雀さん自体も「小米」と名乗っていたときは、師である米朝さんそっくりの落語をやっていて、「今のままでは...」と思い悩み「爆笑派」の落語家に化けています。「枝雀さんが築いた芸風を引き継いだ雀々さんが、この先きっと化けるはず」と勝手に私は考えていたところの訃報は誠に残念な話しです。


南無三



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