この本は今日読み始めて今日終わりました、ハイ。
この本は、月刊『創』編集部が編集した本です。
精神科医、「家族会」、担当記者などの対談やレポートを載せています。
正月に読んだ、朝日新聞社『妄信』も同じ「相模原障害者施設殺傷事件」を
取り上げた本ですが、私がこの事件に執着して二冊読んだのは
「障害者殺傷」という事への世論の動き、報道の変遷であります。
正直、犯人である「植松聖」被告を特別視するのは私は間違った解釈だと思っている。
この「植松聖」という『障害者を見る眼差し』というのは
大なり小なり皆が持っているものだと思う。
これは私が精神病院に障害者として入院し、同じところに勤めることによって
精神病院で精神医療に従事する一部の人たちの『蔑視』を体感、また見てきて
さらに患者さんたちの「家族の態度」などを体験してきた私が
患者が絶大なる信頼を置いてきた人たちの内面は複雑に感情が巡っている中で
無責任な大衆・世論が一部無責任な一過性の報道に短絡的な思いしか抱かないのは
当然のことであり、それぞれのいい加減な感想を絶対的な視点だと思っている
ことのいい加減さと実像に迫りたいと思っているマスコミ・医療者の差異を
見たいと思ったことが二冊目を読もうと思った切っ掛けです。長いな・・・
植松へのインタビューでは本書と『妄信』と差はない。
精神科医や元「家族会」の会長の心情を載せていて、
様々な角度と民衆意識のこの事件に対する「浅見」を苦慮するところは
各章に共通したところだと思った。
また本書は行政の制度、法律と精神医療の現場のギャップも対談の中で指摘している。
これは『妄信』と同じ視点ですが、植松の浅慮も指摘している。
これも前に読んだ『障害者の安楽死計画とホロコースト』にもつながり、
また、『セックスボランティア』にも通じ、
またまた私のライフワークである「・」に対する考えにも通じている。
「ここからは私と違う世界の人」という『境界』を設けることによって
『蔑視』というのは萌芽するのであり、同じ世界の中に『別世界』を設定して
「地続き」であることを否定し、また無視していくという傲慢さを内包しているだろう。
まぁ、好き勝手書きましたが差別する側は好き勝手差別しているのですから
どうって事ないでしょ。
この本、読まずに死ねるか!
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