精神疾患には「希死念慮(死にたいという願望)」が付きまとう。
それは、なんというかそれだけ辛い状況になっているからなのだ。
精神疾患なので表からは分からない。
だから共感は得られない。
みんな口々に同じことを言う。
私の場合は、外傷と精神疾患の両方やっているが、
外傷も時期を過ぎれば「治ってよかったね」って言われれる。
外傷も「後遺症」があるので「完治」はない。
さてそこで、「死んだらどうなる?」という話だが、
答えはおそらく「ない」
帰還した人がいないから。
で、どうするのかもの袋小路を・・・
事実を追いつめるには限界があるので、
「死後をどう考えるか」という考えに転換しなければいけないと思う。
そこで昔の人は「悪いことをした人は地獄へ」、「良いことをした人は天国へ」と考えた。
佛教でい言えば「浄土」だが。
死んで悪いことをすれば、「地獄」は分かるが、
良いことをすれば「天国」って・・・
天国での幸せってなんだろうか?
いろんな宗教があるが、それぞれ違うようだ。
多種多様な「幸せ」、「幸福」を「天国」は網羅するのだろうか?
ととえば、人の役に立っていることに喜びを感じる人もいるし、
金銀財宝にまみえていることに喜びを感じている人もいる。
逆に言えば、人をおとしめることに喜びを感じる人もいるかもしれない。
多種多様・・・
「幸せ」ってなに?
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それは、なんというかそれだけ辛い状況になっているからなのだ。
精神疾患なので表からは分からない。
だから共感は得られない。
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私の場合は、外傷と精神疾患の両方やっているが、
外傷も時期を過ぎれば「治ってよかったね」って言われれる。
外傷も「後遺症」があるので「完治」はない。
さてそこで、「死んだらどうなる?」という話だが、
答えはおそらく「ない」
帰還した人がいないから。
で、どうするのかもの袋小路を・・・
事実を追いつめるには限界があるので、
「死後をどう考えるか」という考えに転換しなければいけないと思う。
そこで昔の人は「悪いことをした人は地獄へ」、「良いことをした人は天国へ」と考えた。
佛教でい言えば「浄土」だが。
死んで悪いことをすれば、「地獄」は分かるが、
良いことをすれば「天国」って・・・
天国での幸せってなんだろうか?
いろんな宗教があるが、それぞれ違うようだ。
多種多様な「幸せ」、「幸福」を「天国」は網羅するのだろうか?
ととえば、人の役に立っていることに喜びを感じる人もいるし、
金銀財宝にまみえていることに喜びを感じている人もいる。
逆に言えば、人をおとしめることに喜びを感じる人もいるかもしれない。
多種多様・・・
「幸せ」ってなに?
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生身の人間が死後を語っても説得力にかけますよね。
私も精神疾患を患って精神疾患も傷のようにみてすぐわかればどんなに楽なんだろうおもいました。
「なにもない」っていうのは一種洗脳の様な気がします。
というのが私の一貫した考えです。
それではあまりに怖いので、
宗教という救いのコンセプトが作り出された。
幸せも、
生きている間にしか感じられないので、
死んだら元も子もないのです。