ガウタマ・シッダールタ像
一般に「仏陀」というのは『悟りを開いた人のこと』のことと言い。
ガウタマ・シッダールタ=ブッダ(仏陀)ではない。
要は「悟りを開いた」人が居ればみんな「仏陀・ブッダ」というわけである。
「佛教」というからには、「ガウタマ・シッダールタ」を崇拝し願いを掛ける。
というのは、「事実誤認」である。
ガウタマ・シッダールタは、弟子達に「それぞれが修行を励むように」としている。
そして、ブッダとなったなら、「『法』と『(悟りを開いた)自分』を守り、
唯一のものとせよ」と、弟子に説いている。
だから、ガウタマ・シッダールタは修行の「先達」であって、
「唯一頼りにするもの」ではない。
逆にその事をガウタマ・シッダールタは、諫め嫌っている。
じゃぁ、どうすればいいのか?という問いに対して私は、
「ただ、無心に手を合わせる」ことだと思う。
「偶像に願い事をしたり、崇める」ことは厳に慎むべきであろう。
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