「うつせみ和尚」のお説教

『うつせみ和尚の日記』二件の事故が元で『(複雑性)PTSD/鬱』になって
闘病、障害当事者として活動している者です。

百万遍~寺町通り(後編)

2008年02月21日 01時00分49秒 | バッタモン百寺巡礼
浄土宗の大本山七ヶ寺の『百万遍知恩寺』を後にして、

加茂大橋を渡り寺町通りへ行き御所の東側を南下します。

そうすると、またも浄土宗の大本山に行き当たります。

『大本山 清浄華院』です。


この三門とは別にこちら


御所の方を向いて『勅使門』があります。

このお寺には、菊の御紋を使う事が許されているようで瓦にも

菊の御紋があしらっています。

何しろ、清和天皇の勅願により御所内に禁裏内道場として建てられたものだそうです。

当初は、『円、密、戒、浄』の四宗兼学の道場だったそうです。


大殿

で、法然上人が比叡山から降りてきて

ここに草庵を結び浄土宗の『専修念仏』の教えを説かれたそうです。

皇室とも所縁が深く、清浄華院へ上人として天皇の子息が入っておられます。

実際、境内には後陽成、後水尾、孝明天皇の皇子、皇女や宮家の墓地があります。

でもって、お隣へ


廬山寺(廬山天台講寺)です。

こちらは、紫式部の邸宅跡に立てられたお寺で圓浄宗の本山であります。

あまり聞きませんね。圓浄宗って・・・。

比叡山から降りてこられた元三大師良源によって開山と言いますから

天台密教の要素が多いのでしょうね。

でも、当初は『清浄華院』同様、四宗兼學だったそうです。


勅使門


大師堂

お次は、道を挟んで御所内に行くと・・・


神社です。

御所内にいくつかある神社の一つですが、梨木神社です。

この境内から水が湧き出ていて、私が行った日も行列を成しておりました。


本殿前

ここは、お公家さんを祀ってあって三條実萬(さんじょう さねつむ)さんと、

三條実美(さんじょう さねとみ)親子を御柱としています。

お父さんの三條実萬は『今天神様』と言われるほど才識兼備で、

早くから王政復古を唱えられ明治維新の原動力となられた方です。

ですが、幕府の逆鱗に触れ、一乗寺に幽閉されその年に身罷られました。

息子の三條実美は、父の意思を受けて王政復古を叫ばれましたが、

京都から追いやられ長州、築州へと落ちる事になります。

その後、王政復古が叶い太政大臣から総理大臣まで歴任しました。

都が東京へ移されるについて京都御所廃止案が出たときも

『それでは京都がさびれます』と明治天皇に進言し、却って

『国家の大礼は京都御所に於いて行う』と定められ

大正、昭和の即位は京都御所で行われました。

親子共に非常に天皇に近く親しかった為、三條実美が病床にあるときに

正一位に叙する勅語を受けられた。

で、大正四年に三條親子を祭神として、梨木神社ができたわけです。

あ~、しんど

もう一件

更に南下して、ちょいと河原町通りに抜ける道を行くと



荒神さんこと、護浄院です。


荒神尊

境内の中に荒神尊として、鳥居がありおまつりしてあります。

本堂の中で観音様をお参りさせていただきましたが、

横には不動明王が祭ってあり、その前には密教のような仏具がありました。

こちらも天台密教なのですかね

ここで打ち切りとして、丸太町通りに出て遅い昼食を・・・





許してぇ~。




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