なんだか厄介な話しだと思うかもしれませんが、
単純な話しのように見えて「・・・えっ?」と、考える内に解らなくなってくるかもしれません。
古くは紀元前から「善人論」と「悪人論」とがあり、
『これ!!』というのが無いのが現状です。
それぞれの「生育歴」あるのかもしれませんが・・・
日本で有名になったのは鎌倉仏教で浄土真宗の開祖親鸞は以前からの「悪人正機」説に
再び光を当て「阿弥陀仏の目的が凡夫の救済を目標としている」ことから、
※『善人が救われるのなら、悪人は尚のこと救われるべき存在だ』
ということである。
親鸞像
つまるところの「悪人正機」と言う考え方である。
キリスト教文化では違うようで「原罪」と言う考えで、
「ひとは元々生まれたときから、『罪』を背負っている」という考え。
チャップリンは映画「チャップリンの殺人狂時代」の中で、
殺人の限りを尽くした主人公・チャップリンが逮捕され、ギロチンに掛けられる前に
部屋に神父が訪れ、「君の迷える魂に神のご加護を」を行った後に
殺人狂・チャップリンが「私は神と争ったわけではありません、世間と戦ったのです。」
の後に「『罪』とは何です?地上に落ちた天使から生まれるのですか?」と言っている。
これがキリスト教の「原罪」の考え方でこの娑婆世界で生まれながらに背負っている
罪を解消していく、減らしていく。
そんな感じですかね(いい加減な・・・)
私も「人間は(生まれながら)『罪人(つみびと)』で、愚かな存在だ」と思っている。
話しを現実に下ろすと、人間がこの地球上で罪の限りを尽くし、
そして、住めなくなった地球で死に絶えるか、もしくは罪によって生命の危機が
迫っていてもそれに勝る科学の進歩で生き抜くか、
どちらかだろうと思う。
基本的には、人間は「倫理・道徳」の面において誠実になる事は皆無だと思っている。
最初の方で言いましたが、佛教でもキリスト教でも『性悪説』で
「現世で徳を積みなさい」と言うことだが、人類が文明を起こして今に至っているが、
人間はこの地球上で好き勝手にしてきた。
徳を積むところでは無い。
改心しない者は自滅するのです。
拝