きのう、女性会館の使途不明金問題について、元会計責任者がすでに支払った賠償金の返還と、今後の返済契約の締結の無効を求めての裁判が行われました。
一向にみえない動きに、どうなるのか、非常に関心をもっていたので、裁判の傍聴にでかけたかったですが、残念ながら先約があって行く事ができませんでした。
新聞報道などによると、女性会館側は、契約の強要はなかったとして、全面的に争うかまえのようです。
この問題について、”責任とはなにか”ということを考えています。
仕事において、会計担当責任者は、会計が正確に行われることに責任があります。事務局長は、その上司であり、会計や財団法人の運営が円滑に行われるように監督する責任があります。理事会は、その運営に対し責任があります。会計監査は、年間の会計処理に対して責任があります。財団公人は公益法人ですから、行政の責任、この場合、県の責任があります。
旧婦人会館は、だれも、この責任を引き受けていませんでした。こんなことを何十年としてきたという信じられない状況でした。なぜなのでしょうか?なぜだれも責任をとろうとしなかったのでしょうか?
もっと不思議なことは、旧婦人会館を構成している団体から、”声”が上がってこない・・・ということです。それぞれ理事を出しているわけですから、その中での話し合いが行われていて、外に漏れてこないだけなのかもしれませんが、自分達が集めたお金が、消えてしまっているのに、どのように考えているのか、外部にはなかなか聞こえてきません。
秋田の婦人運動は、和崎ハルさんの頃には、日本一とも言われた女性たちの活発な働きがありました。わたしは、その歴史を大切にしたいものだと思いながら、そのはじっこに繋がる者になりたい・・という思いで、活動をしてきました。だから、10年間育てていただいた旧婦人会館の”今”が不思議でなりません。
男女共同参画社会基本法は、社会を担う責任を分かち合う・・・と謳っています。
この、旧婦人会館の問題は、女性問題の宝の山です。これを掘り起こす事で、主体的に生きる・・・という核心が見えてくるかもしれません。
何か行動しなければいけない・・・なにか出来る事はないか・・今そんなことを考えています。