金曜日から今朝にかけて、11年ぶりの一周マラソン参加のためプロペラ機で30分間の与那国島に行ってきた。マラソンの方は28度の炎天下ということも手伝って、この11年の衰えは大きく、かつての総合8位から総合84位と後退。先週からの腰痛を庇って走ったのか、次第に左大腿に違和感を感じつつも、何とか前半の激坂地帯を切り抜けたので、調子のいいときの後半の一気呵成に期待感もあったが、15k過ぎからはまったく足が上がらず、キロ6分平均を維持するのが次第に困難な状態と相成り、そのまま25kを走り終えた。それにしても、走り終えた憔悴感はフルマラソン以上。再来週のビーチ&トレイル、その翌週のNAHAマラソン、その又翌週のIZU トレイルジャーニーは、まったく思いやられる。とにかく明日からの減酒・減量と走りこみを取り急ぎスタートさせたい。年明けからのエントリー大会も続々と控えており、少しは、シリアスな季節を迎えようか。(またまた、気合だけなのだろうが。)
さて、それはそれとして、与那国の他の八重山諸島とは異なり、絶海の孤島感がただよう与那国島は、どこまでも平和なオメメをまばたきながら、優しく日がな短い草を食んでいる「ヨナグニ馬」がいるから足を運びたくなる島なので、マラソン前日、いつものように東崎(アガリザキ)に逢いに行き、しばらく平和なときを過ごした。この3日間で一番いいときを過ごしたと思う。牛やアマサギ、ネコたちにも出会えたし、旅館の窓辺には伝書バトらしき珍客も訪ねてきた。動物と同列に記録するのは、旅館のオバーたちも愛くるしい人々だったな。
と、そこまでは、いいいのだが、このマラソン大会、はじめから終わりまで自衛隊の人々がお手伝いをしていて、ボランティアの半分はその人々だったような気がする。迷彩服にヘルメットってマラソンに必要なのだろうか。エイドから沿道の誘導、ゴール地点での温泉施設の提供にいたるまでそのようなお兄さんお姉さんがたくさんいた。さらに、表彰式の「栄光は君の手に」演奏と、ふれあいパーテーの第一部は、陸自15連隊音楽隊の「すばらしいブラスアンサンブル」の生演奏会ときた。もちろん音楽隊は迷彩服ではないが、制服での、業務としての演奏。
それで、何もかも、自衛隊におんぶに抱っこした大会って、オイラは個人的には敬遠したい。決して、自衛隊の存在を否定するものではないが、1400人の島に200人以上の隊員が常駐するようになったのだから、何か恩返ししたいという気持ちもわかるが、そして何とか半分近くいた島の反対派に取り入ろうとする気持ちも分かるが、マラソン大会は町おこしの一環であり、住民のボランテイィアで維持できない大会なのだったら、もう、島民の大会とは言えないのではなかろうか。
愛すべき平和のシンボル「ヨナグニ馬」にまた逢いたくはなるのだろうが、迷彩服にヘルメットが闊歩するこの大会だけはしばらく敬遠したいな。肉体的ダメージの怨念というわけではないが・・・
これから、どうなるヨナグニ島、まだまだ隣国との軋轢も収まりそうにもなく、自衛隊関係施設の建設も続いているようだ。10年、100年、ヨナグニ馬は、ずうっと草を食んでいてくれるのだろうか。
ヨナグニ・いきもの館
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