今日の山江村文化祭には、遅れて昼前に出かけました。もう、最後のプログラム頃でした。中学生、青年団の合唱が聴けました。今年で10年とか、関係者のご苦労に脱帽です。
「10年ひとむかし」といいますが、10年続けると「一人前」になるのでは、と思っています。「認知」されると云うことです。そんな意味からも山江のICT教育は10年する!と宣言したつもりです。
山江村文化祭はそんな意味からも地についた活動になったと思われます。
「文化」という定義はいろいろとあるのでしょうが、司馬さんのエッセイ(文化と文明について)の中に、『頭上に文明(たとえば交通文明とか、法の文明)があるにせよ、民族や個々の家々では、普遍性に相反する特異さで生き、特異であることを誇りにしている。そういう誇りのなかに人間の安らぎがあり、他者からみれば威厳を感じさせる。』とあります。
私風に解釈すると、山江村文化祭も特長を持って行われ(それは10年間、続けられた成果として)、そこに誇りが生じてきて、そのことが村民の安らぎに繋がってきたと思われるのです。文化が根づくとはそんな日々の積み重ねのような気がします。
わたしももっと文化的人間になれるように日々を過ごしたいものです。
今日の天気()
「10年ひとむかし」といいますが、10年続けると「一人前」になるのでは、と思っています。「認知」されると云うことです。そんな意味からも山江のICT教育は10年する!と宣言したつもりです。
山江村文化祭はそんな意味からも地についた活動になったと思われます。
「文化」という定義はいろいろとあるのでしょうが、司馬さんのエッセイ(文化と文明について)の中に、『頭上に文明(たとえば交通文明とか、法の文明)があるにせよ、民族や個々の家々では、普遍性に相反する特異さで生き、特異であることを誇りにしている。そういう誇りのなかに人間の安らぎがあり、他者からみれば威厳を感じさせる。』とあります。
私風に解釈すると、山江村文化祭も特長を持って行われ(それは10年間、続けられた成果として)、そこに誇りが生じてきて、そのことが村民の安らぎに繋がってきたと思われるのです。文化が根づくとはそんな日々の積み重ねのような気がします。
わたしももっと文化的人間になれるように日々を過ごしたいものです。
今日の天気()