先日の記事(興味が)のところで、いま、調べていることを幾つかあげましたが、その一つに(相良三十三観音)のことがあります。いつの頃から始まったのかはわからないのですが、いまも残っているご詠歌は井口武親さん(1628~1690)が詠んでいるし、その曾孫井口美辰も詠んでいます。江戸時代の初め頃には行われていたはずです。
山江には1か所「合戦峰観音」だけです。12番札所です。本尊は(聖観音さま)です。ところがこの仏さんは「うちの親父が大正7年に他所から背負ってきた」と話していた、ということを聞いたのです。そのような話を聞いたこともあったのですが実話的には初めてだったので調べているのです。
仏像は移動可能なのです。人が持ち運びできるのです。このお堂にある鰐口には「嘉吉三」というつくられた年号があります。1443年のことです。ところが「阿弥陀如来御宝前奉施入之」とあります。阿弥陀仏の前に供えるということでしょうから観音様の処にはないはずです。この鰐口も他所から持ってこられたもののようです。仏像よりも簡単に持ち運びできるものです。
大正7年2月25日付の‘人吉時報’という新聞に三十三観音の記事があることを知って、先日、人吉の図書館にいってコピーしてきました。この新聞では私の疑問は解消されませんでしたが、新たなる疑問が・・・(大正7年)に何かがあったのでは?・・・廃れていた観音めぐりの再興があったのでは?と思ったのです。それから‘大正7年’のことを調べる羽目に陥っているのです。
調べていくと、わからないことが増えるばかりで。まるで借金が雪だるま式に増えるような感じです。‘貯金’なら増えることはうれしいのでしょうが‘借金’なのです。困ったものです。
今日も暑い一日でした。こちらも困ったものです。
今日の天気()
山江には1か所「合戦峰観音」だけです。12番札所です。本尊は(聖観音さま)です。ところがこの仏さんは「うちの親父が大正7年に他所から背負ってきた」と話していた、ということを聞いたのです。そのような話を聞いたこともあったのですが実話的には初めてだったので調べているのです。
仏像は移動可能なのです。人が持ち運びできるのです。このお堂にある鰐口には「嘉吉三」というつくられた年号があります。1443年のことです。ところが「阿弥陀如来御宝前奉施入之」とあります。阿弥陀仏の前に供えるということでしょうから観音様の処にはないはずです。この鰐口も他所から持ってこられたもののようです。仏像よりも簡単に持ち運びできるものです。
大正7年2月25日付の‘人吉時報’という新聞に三十三観音の記事があることを知って、先日、人吉の図書館にいってコピーしてきました。この新聞では私の疑問は解消されませんでしたが、新たなる疑問が・・・(大正7年)に何かがあったのでは?・・・廃れていた観音めぐりの再興があったのでは?と思ったのです。それから‘大正7年’のことを調べる羽目に陥っているのです。
調べていくと、わからないことが増えるばかりで。まるで借金が雪だるま式に増えるような感じです。‘貯金’なら増えることはうれしいのでしょうが‘借金’なのです。困ったものです。
今日も暑い一日でした。こちらも困ったものです。
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