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1980年12月8日。ジョンはNYのダコタ・アパート前にて凶弾に倒れ
天に召されてしまいました。あれから26年経った今も当時のニュースや
翌日の新聞のこの記事は忘れる事が出来ない位鮮明に記憶しています。
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若造だった私は動揺し、また大変落胆しました。世界中のジョンの
ファンも皆同じだった事でしょう。ビートルズと私の出逢いは小学生の頃。
当時、音楽とファッションで世界中を熱狂の渦に巻いていた彼らは
若者の象徴でありながら伝統や保守を好しとする大人達からは反発を
買いヘアスタイルがボサボサだと必ず「ビートルズみたい」と
子供でも中傷されたり、冗談まじりにからかわれたりもしました。
子供ながらに「フ~ン、ビートルズってくしゃくしゃ頭のことかぁ・・・」って
思っていました。TVの不二家ルックチョコレートのコマーシャルで
“レット・イット・ビー”の曲と映像が流れてきて「これかぁ、ビートルズって」
感じた程度でした。中学校に入学すると音楽の話題は解散したビートルズの
事ばかり。バッド・ボーイズと言うビートルズのコピーバンドのカバーで
ジーンズのエドウィンのコマーシャルから“シー・ラヴズ・ユー”が流れて
きたのも鮮烈でした。もうその頃には完全に虜でリリースされている
LPレコードは海賊版も含め殆んど収集していましたし、声変わりも
落ち着くと歌詞と睨めっこしながら曲を覚えるのに血眼で高校生になった頃
には禁止されていた夜間のバイトで貯めたお金を基に“リッケンバッカー”を
買ってしまったのでした。当時で25万円はしましたから高校生としては
相当高価な買い物でコピーバンドも結成してプチ・ビートルズ気取りでした。
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ビートルズの中でも一番なのは勿論ジョンでソロになってからも活動を
見守り続けアルバム“イマジン”は何度も何度も聴き続けました。
今でも一番のお気に入りです。
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ジョンの音楽活動がスローになりヨーコ夫人との間にショーン君が
誕生し再びジョンが音楽活動に本腰を入れはじめ1980年にアルバム
“ダブル・ファンタジー”がリリースされました。
その矢先・・・ジョンは還らぬ人となってしまいました。
12月8日はジョンの命日です。
そして運命なのか、この日は私の誕生日でもあるのです。
Imagine there's no heaven,
It's easy if you try,
No hell below us,
Above us only sky.
Imagine all the people
Living for today. A Ha
Imagine there's no countries,
It isn't hard to do
Nothing to kill or die for
And no rel ...
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