大暑;湿度の高い日本では、気温が30℃近くになると大変蒸し暑い。不快指数が80を超えると、ほとんどの人が耐え難く感じる。夜になっても気温が下がらず、寝苦しい熱帯夜となる。また俳句では、感覚の上での暑さをとらえて詠むこともできる。「大暑」は、中国伝来の語で、二十四節気の一つで、7月23日ごろにあたる。俳句では「酷暑」とか「極暑」と同じ意味で用いられる場合も多い。「暑き日を海に入れたり最上川 松尾芭蕉」「百姓の生きてはたらく暑さかな 与謝蕪村」「暑き日は暑きに住す庵かな 高浜虚子」「暑き朝蚤の歌など放送す 相生垣人」「さそり座をめえざす公開夜も暑し 福永耕二」「玉の緒のすがりて耐ふる大暑かな 富安風生」「大暑なり出でず訪はれぬ髪詰めて 岩城のり子」「零時過ぎ人語道ゆく熱帯夜 富岡掬池路」。今朝は、7時30分24℃ここ4~5日に較べ温度上昇の傾向。暦どうり大暑に入るか?日本の四季は、暦通り訪れるか?・( 大暑入り 歓迎なるも 耐えうるや よわいかさて 極暑の日々を ケイスケ)
ラベンダー(シソ科)地中海沿岸地方原産。常緑低木で、高さ30~60cm、茎や葉に白い綿毛が蜜生する。花は青紫色のいわゆるラベンダー色で、唇形花が穂状につく。ヨーロッパではローマ時代から香料として栽培されていた。日本では北海道の富良野地区が有名で、7月になると畑一面が青紫色で彩られる。近頃は暑さに強いラベンダーも導入され、各地のハーブガーデンや公園、家庭などの花壇にも植えられている。開花は種や地域によって異なるが5~7月が中心。北海道のラベンダー栽培の歴史を豊富な写真と共に振り返る「芳香の大地ーラベンダーと北海道」(遊人工房、1,500円税別)が出版された。執筆.編集「ラベンダークラブ」岡崎英生氏。「ラベンダーの風が押しゆく地平線 青柳照葉」「雲に匂ひうつしてラベンダー畑 酒田美代子」「火の山の裾より青しラベンダー 木村敏男」(夢に見し ラベンダー畑の 雲ひろし ケイスケ)
ノウゼンカズラ;凌霄葛。中国原産のノウゼンカズラ科の蔓性落葉樹。日本へは平安時代の初期に渡来し、観賞用に庭で栽培される。蔓の長さ10mにも伸びる。葉は対生し、奇数羽根状複葉。5~9枚からなる小葉は卵状で先がとがり、縁には鋸歯がある。7~8月、枝先に円錐花序を出し、径約6㎝の漏斗状の花をつける。花冠は橙黄色で先が不規則に五個に裂ける。中国名「凌霄花」
オレンジ色の花が空へ咲きのぼるさまは鮮やかであり、散ってもまだ華やぎがある。日盛りに風に揺れる様子は炎を連想させる。「噴井あり凌霄花これを暗くせり 富安風生」「塵とりに凌霄の花と塵すこし 高野素十」「凌霄に井戸替えすみし夕日影 西島麦南」「凌霄は妻恋ふ真昼のシャンデリヤ 中村草田男」「凌霄や同じ女が二度も過ぎ 永作火童」「のうぜんや遣りし者ら顔洗ふ 岡本 眸」「のうぜん花少し愛してすぐ忘る 石 寒太」「のうぜんの落ちて人の世焦げくさき 今村 妙子」「北目指し男逃げゆく凌霄花 新海あぐり」。今日の凌霄葛の花言葉は、名誉。土用入。暦の上で立秋の前の18日間を夏の土用という(7月20日か21日頃)昨日は、一日中、蒸暑くて、水風呂に何回も飛び込むも、今朝は23℃なんと一日の温度差が10度もある。九州地区では、大雨、水害が多数発生している。各地の海水浴場も海開きするも、2~3日は台風に影響されそうだ。 (土用いり 風爽やかに 汗しらず ケイスケ)
オレンジ色の花が空へ咲きのぼるさまは鮮やかであり、散ってもまだ華やぎがある。日盛りに風に揺れる様子は炎を連想させる。「噴井あり凌霄花これを暗くせり 富安風生」「塵とりに凌霄の花と塵すこし 高野素十」「凌霄に井戸替えすみし夕日影 西島麦南」「凌霄は妻恋ふ真昼のシャンデリヤ 中村草田男」「凌霄や同じ女が二度も過ぎ 永作火童」「のうぜんや遣りし者ら顔洗ふ 岡本 眸」「のうぜん花少し愛してすぐ忘る 石 寒太」「のうぜんの落ちて人の世焦げくさき 今村 妙子」「北目指し男逃げゆく凌霄花 新海あぐり」。今日の凌霄葛の花言葉は、名誉。土用入。暦の上で立秋の前の18日間を夏の土用という(7月20日か21日頃)昨日は、一日中、蒸暑くて、水風呂に何回も飛び込むも、今朝は23℃なんと一日の温度差が10度もある。九州地区では、大雨、水害が多数発生している。各地の海水浴場も海開きするも、2~3日は台風に影響されそうだ。 (土用いり 風爽やかに 汗しらず ケイスケ)
小梅草(コバイケソウ)ユリ科の多年草。中部以北、北海道の高山の湿った草原に群生する。高さ60~100cm、茎は直立して、広楕円形の葉を互生する。6~8月、円錐花序に小さな白花を多数蜜生してつける。円錐花序は数個立ち、中心が大きく、周りは小さい。日本のみに自生する特産種で、特に親しまれている高山植物だが、毒草である。同属別種に「梅草」があるが、草丈1.5mにもなる大型で、緑白色のを円錐花序に多数つける。こちらも毒草である。「小梅草あらくさとして花終わる 小松崎爽青」「こばいけい草触るゝや泉ほとばしる 新井英子」「小梅草行者白雲まとひ来ぬ 岡田日郎」。花言葉は、遠くから見守つています。(毒草に 近寄り難く途抜きし コバイケソウの 花の名残哉 けいすけ)
透百合;スカシユリ(ユリ科:ユリ属)花言葉は、注目を浴びる。百合は総称で、「ゆり」は「揺り」の意で、大きな花が風に揺れ動くことに由来。「百合」の字は、球根が数十個の麟片からできているので、「百片合成」の意味であり、「万葉集」には、「百合」「由利」「佐由理」「佐由理」などと表記されている。日本には美しい百合が数多く自生するが、どれも鱗茎から芽を出し、笹の葉に似た葉を互生する。花は六弁の漏斗形で、芳香を放つものが多い。山野で見る山百や笹百合の清しさ、鬼百合の野趣、カサブランカの風格など、種や品種によって趣が異なる。だがいずも、きりりと咲く姿から、純粋で一途な思いなどが託された句が多い。「くもの糸一すちよぎる百合の前 高野素十」「谷風や花百合そ向きま向きして 阿波野青畝」「神の声湧くごと森の車百合 加藤知世子」「百合の花家ひろびろと香りけり 黒柳昌子」。西洋では百合は早くからキリスト教と深く結びついており、今でも受胎告知の神聖な花として祭壇を飾る。『霊歌歌ひ黒人百合をだきさる 有馬朗人』「告別ミサ百合は異端の匂いもつ 今村順子」「ふれもせで百合くずれたり沖縄忌 丹波恵美子」。百合の花の命も短くて、数少ないと、残した鉢の無残さが残る(庭に置 百合3鉢は 咲いて散る ケイスケ)
②島屋敷遺跡。この一帯は元々水田に囲まれた島状の地形をしており、島屋敷と呼ばれていました。中世には武蔵七党の一つ村山党の武士、金子氏の屋敷があったと伝えられ、江戸時代初頭には柴田勝重が陣屋を構えて居住していました。平成4年から発掘調査では、中.近世の庭園跡大量の陶磁器類などが発見されています。③天神山遺跡=天神山は、16世紀前半頃(戦国時代)に作られたと考えられる遺跡で、蛇行する仙川に沿って三方を川に囲まれた細長い地形が天然の要害となり、城の守りを固めるのに適した立地であったと考えられる。北側に設けた庭と土塁は今も残り、見学することが出来る。侵攻する敵を側面から攻撃する横矢掛かりといわれる仕掛けが特徴的である。春清寺=1600年ころ創建の寺を、柴田勝重が先祖の菩提を弔うために改築し、中興の祖となる。柴田家は三代にわたり80年ほどこの地を治め、春清寺には、柴田家の由来を記した石碑があります。勝重の墓は、身分の高い者に許される宝篋印塔型をしており、荘厳な佇まいです。
①勝淵神社(新川3-20-17)②島屋敷遺跡(新川4.5丁目)③天神山遺跡(新川2-5)
④春清寺(新川4-4-22)。「柴田勝重兜埋納伝承地」は6月に無形文化財」指定登録史跡となる。
①勝淵神社(新川3-20-17)②島屋敷遺跡(新川4.5丁目)③天神山遺跡(新川2-5)
④春清寺(新川4-4-22)。「柴田勝重兜埋納伝承地」は6月に無形文化財」指定登録史跡となる。
現在住んでいる街は、もうすでに30年を超える。市内の見慣れた場所に、豊かな歴史の物語が眠つている事があまり知らされていないか、自分が知らなのか?。2012年7月15日発行の広報によると、安土桃山時代の戦国武将.柴田勝家にまつわる新たな登録史跡となったと伝えている。①勝淵神社;水神である,弥都波能売神を祭り、地元では、「明神さま」の名で親しまれていた。創建された年代は古くて定かではないが、江戸時代に柴田勝家の孫、勝重が領主となって以降勝淵神社として旧上仙川村の鎮守として人々に厚く信仰されている。(新川3-20-17)。境内には織田信長の重臣であり、豊臣秀吉に敗れてお市の方と共に自刃した柴田勝家の孫勝重は家宝であるはずの祖父勝家の兜を水神の森に祭たとされており、後に境内にあった塚と樫の御神木が、兜塚と呼ばれるようになった。兜塚;慶長20.元和元年(1695年)現在の島屋敷遺跡一帯を徳川家康から拝領した。)②は,島屋敷、天神山遺跡、春清寺。につて明日にする。今日の誕生日の花は、浜万年青;ハマユウ:ヒガン花科;花言葉は、どこか遠くへ、汚れがない。「浜木綿や落ちて飼われる鳶の雛 水原秋桜子」「浜木綿咲く朝の岬を呼びよせて 千代田勝彦」「雲はみな風の形や浜おもと 不破 博」
トキソウ;鴇草(ラン科)花言葉は、尊敬。山地の日当たりのよい湿地に生える。野生蘭の一つ。草丈15~20㎝,葉は直立する。葉は革質、被針形で長さ4~10cm、茎に一枚つく。6~8月、頂部に苞葉を出し、花を横向きに一個つける。長さ2~3㎝の小さな花で,半開きする。っ花色は淡紅色のいわゆる鴇色。鴇(朱鷺)の羽の色を思わせるので「鴇草」「朱鷺草」という。「鴇草や唇弁雨に濃くす 岡部六弥太」「鴇草の雨は遥かと思ひけり 加藤燕雨「朱鷺草の見上ぐる空の青さかな 神田長春」。今朝は久しさ振りに霊峰富士山の姿を見せる。山頂から四筋の窪みに白雪が見え青空に浮かんで見えた。(雪渓の 富士の裾野は 雲白し ケイスケ)
合歓の木の花。(マメ科)花言葉は、歓喜;胸のときめき。本州以南の山野の日当たりのよい所に生え、庭木にもされる落葉低木。高さ約10m、枝が横に張り出し、夏に涼しい緑陰をつくる。対生する葉は羽状に細かく分かれ、夕方には葉を閉じて眠ったように見えるので、「ねむ」「ねぶ」の名がある。6~8月、極細の糸房のような花がけぶるように夕方開く。頭状に集まった20個ほどの花で、雄蕊は長く、花弁や萼は小さく目立たない。「象潟や雨に西施がねぶの花 芭 蕉」「谷空にかざして合歓のひるのゆめ 長谷川素逝」「合歓咲けり斑鳩はいま雲の刻 藤田湘子」「合歓の木の下で泳ぐは大胆に 台 迪子」「合歓の花長者が森の道すがら 岸原清行」「合歓咲くと川より早く歩きおり 宮坂静生」「過疎すすむ島はいつしか合歓の花 豊田久米太」(山荘の 裏庭に咲く 合歓の木 今は花の 盛りなるかも ケイスケ)
チダケサシ;乳茸刺;ユキノシタ科チダケサシ属。花言葉は、ますぐな性格。やや湿った山野に生える多年草。高さ40~80cmになる。葉は2~3回羽状複葉。小葉は楕円形または倒卵形で、縁に不揃いな鋭い鋸歯がある。花茎の先に淡紅色かほとんど白色の小さな花を多数つける。花軸には淡褐色の腋毛が密に生える。小花柄は長さ2~3㎜と短い。和名はチダケと言う。食用のキノコを、この茎に刺して持ち帰ることによる。同属に、ヒトッバショウマ、トリアシショウマがある。(旅ひとり きのこを刺して 殖ゆる 乳茸刺 ケイスケ)