14日(水) 柚をたくさんおみやげにもらって吉川さんに別れる。国道371を経て熊野街道へ。熊野古道中辺路という道の駅による。目の前に熊野古道牛馬童子口という標識があったので登ることにする。箸折峠というところまで800m、緩やかな山道。峠に牛と馬を並べてそれにまたがる童子の小さな石像がある。花山法皇の熊野詣の旅姿だとか。平日だが歩く人に幾組か会う。どこにでもあるような山道だが、私たちはこれで熊野古道を歩いたことにする。古道は国道などで分断され歩けるところは限られているが、世界遺産に登録されたせいか、あちこちで整備が進んでいるらしい。
熊野本宮大社に参詣し、鳥居前のラーメン屋(からす屋)で昼食。美味、足湯を使えるのもよい。ここから歩いて大斎原(おおゆのはら)というところを訪ねる。1889年の大洪水まで大社はここにあったという。広大な熊野川の中州である。社などなかった遠い昔の信仰に興味のある妻はしきりに感心している。山々に囲まれ、清冽な流れのほとりの河原。神様が降りて来るに絶好の地か。今は四周の山は杉の人工林ばかりだが。
大斎原http://www.mikumano.net/meguri/oyunohara.html
広々とした河原のつづく熊野川に沿って下り、新宮市の雲取温泉に向かう。途中に桑ノ木の滝というのを見つけたので歩く。滝も素晴らしいが、入り口からつづく山道がずうっと苔蒸していて感動。いにしえの熊野の道は斯くやと。http://www.mikumano.net/meguri/kuwanoki.html
15日(木) 熊野三山のうち那智大社と新宮の速玉大社は昔、妻の両親や子どもたちと参詣したことがあるので今回は素通り。三重県熊野市の鬼ヶ城に向かう。途中に花の窟(いわや)神社がある。70mもの大岩がご神体。大自然教の信徒としても驚く。http://www.mikumano.net/meguri/hananoiwaya.html
鬼ヶ城は「皆さん元気なうちに訪ねてください」としかいいようがない。熊野灘に突き出た半島がすべてこれ岩山。隆起と波の浸食で巨大な芸術作品の連続。波浪が化石になっているというのだろうか。
岩山の中腹にえんえん1kmの遊歩道がつづく。私たちはこれを往復して、熊野はこれで堪能したという満足感でいっぱい。中国からの団体旅行の一行がやってきた。入り口でもう写真に夢中の人、ちゃんとその全貌を楽しんでくれただろうか。
かつてこのあたりには多我丸という海賊が住んでいて、坂上田村麻呂に「征伐」されたという伝説があるという。熊野もまたまつろわぬ民の地であったということだろうか。
鬼ヶ城/http://www.za.ztv.ne.jp/onigajyo
尾鷲で昼食ののち、紀州路から伊勢路を走破。夕刻、木曽三川(木曽川・長良川・揖斐川)の合流する長島の厚生年金の宿に泊まる。廉価で温泉も食事もグッド。
16日(金) 前日のうちに木曽三川公園は見ておいたので、近くの船頭平閘門公園を見学。木曽川と長良川をつなぐ運河。明治期に三川分水を指導したレーケの銅像。僕はデレーケと覚えていた。本当はヨハネス・デ・レーケ。
反対運動で名の知れた長良川河口堰へ。「アクアプラザ」という宣伝館にはいり、河口部の景観を眺めたあと、政府側の説明を見聞。洪水を防ぐためには川底の浚渫が一番、すると海水が上流部まで遡上する、為に塩害が拡大する。これを防ぐために河口部に堰をもうけ海水の進入を防ぐとか。ならばほかの二つの川にはなぜ河口堰を作らないのか。こんな疑問がでてきたのはあとになってから。
僕は6年ほど前にもここを訪ねたことがある。水を治めるということについて考えさせる壮大なグラウンドである。
アクアプラザながら http://aquaplaza-nagara.jp/faq/index.html
長良川河口堰建設をやめさせる市民会議http://nagara.ktroad.ne.jp/
長良川の土手の上の道をどこまでも北上、岐阜羽島のインターから高速に乗る。開通した八王子JTを経て川越に着いたのは夕刻である。
熊野本宮大社に参詣し、鳥居前のラーメン屋(からす屋)で昼食。美味、足湯を使えるのもよい。ここから歩いて大斎原(おおゆのはら)というところを訪ねる。1889年の大洪水まで大社はここにあったという。広大な熊野川の中州である。社などなかった遠い昔の信仰に興味のある妻はしきりに感心している。山々に囲まれ、清冽な流れのほとりの河原。神様が降りて来るに絶好の地か。今は四周の山は杉の人工林ばかりだが。
大斎原http://www.mikumano.net/meguri/oyunohara.html
広々とした河原のつづく熊野川に沿って下り、新宮市の雲取温泉に向かう。途中に桑ノ木の滝というのを見つけたので歩く。滝も素晴らしいが、入り口からつづく山道がずうっと苔蒸していて感動。いにしえの熊野の道は斯くやと。http://www.mikumano.net/meguri/kuwanoki.html
15日(木) 熊野三山のうち那智大社と新宮の速玉大社は昔、妻の両親や子どもたちと参詣したことがあるので今回は素通り。三重県熊野市の鬼ヶ城に向かう。途中に花の窟(いわや)神社がある。70mもの大岩がご神体。大自然教の信徒としても驚く。http://www.mikumano.net/meguri/hananoiwaya.html
鬼ヶ城は「皆さん元気なうちに訪ねてください」としかいいようがない。熊野灘に突き出た半島がすべてこれ岩山。隆起と波の浸食で巨大な芸術作品の連続。波浪が化石になっているというのだろうか。
岩山の中腹にえんえん1kmの遊歩道がつづく。私たちはこれを往復して、熊野はこれで堪能したという満足感でいっぱい。中国からの団体旅行の一行がやってきた。入り口でもう写真に夢中の人、ちゃんとその全貌を楽しんでくれただろうか。
かつてこのあたりには多我丸という海賊が住んでいて、坂上田村麻呂に「征伐」されたという伝説があるという。熊野もまたまつろわぬ民の地であったということだろうか。
鬼ヶ城/http://www.za.ztv.ne.jp/onigajyo
尾鷲で昼食ののち、紀州路から伊勢路を走破。夕刻、木曽三川(木曽川・長良川・揖斐川)の合流する長島の厚生年金の宿に泊まる。廉価で温泉も食事もグッド。
16日(金) 前日のうちに木曽三川公園は見ておいたので、近くの船頭平閘門公園を見学。木曽川と長良川をつなぐ運河。明治期に三川分水を指導したレーケの銅像。僕はデレーケと覚えていた。本当はヨハネス・デ・レーケ。
反対運動で名の知れた長良川河口堰へ。「アクアプラザ」という宣伝館にはいり、河口部の景観を眺めたあと、政府側の説明を見聞。洪水を防ぐためには川底の浚渫が一番、すると海水が上流部まで遡上する、為に塩害が拡大する。これを防ぐために河口部に堰をもうけ海水の進入を防ぐとか。ならばほかの二つの川にはなぜ河口堰を作らないのか。こんな疑問がでてきたのはあとになってから。
僕は6年ほど前にもここを訪ねたことがある。水を治めるということについて考えさせる壮大なグラウンドである。
アクアプラザながら http://aquaplaza-nagara.jp/faq/index.html
長良川河口堰建設をやめさせる市民会議http://nagara.ktroad.ne.jp/
長良川の土手の上の道をどこまでも北上、岐阜羽島のインターから高速に乗る。開通した八王子JTを経て川越に着いたのは夕刻である。