昨日、田中さんが遊びに来てくださったので、僕が感じたことを伝えることができました。その概略を記すこととします。
僕はかつて『流れる星は生きている』を読んだことがあります。しかし、松本さんと同じように逃避行を共にしているような緊迫感を感じながら読んだ(読んでもらった)のははじめてです。出演者の好演のたまものです。ただ、感動に浸って劇の余韻をかみしめるということはなく、いろいろなことを考えさせられたことも事実です。
僕は1980年代に中国残留孤児2世の生徒たちとの出会いがあってはじめて『満州』と抜き差しならない関係を持つようになりました。脱出・引き揚げについても学ぶ機会を積極的に作りました。生徒のおばあちゃんを招いて開拓団の逃避行や集団自決に追い込まれた体験をみんなで聞いたのをはじめとして、各地に出かけて体験者の話を聞きました。
昨年は文京高校の生徒だった人のおばあちゃんを天草に尋ねて思いがけない話を聞きました。14歳で親に売られた人の17歳の時の奉天(今の瀋陽)からの引き揚げ体験です。助け助けられた逃避行の中で同行の人の子を見捨てるほかはなかった体験は今もこの人の生き方の原点をなしています。自らをを律することの厳しさとにじみ出る優しさに圧倒されて僕は深く叱咤され励まされたのです。(『木苺』129 号)
敗戦直後に書かれたこの著書が貴重な記録であることは確かです。しかし、私たちはあれから60年後の現代を生き、この著作を相対的に評価することができる体験を積み重ねてきたはずです。
著者は自分たちは関東軍に見捨てられたと思っていたのですが、ソ連との国境に配置された開拓団や満蒙開拓義勇軍の人たちから見れば満鉄や傀儡政府の役人たちも同罪です。近くの駅にたどり着いても乗る列車はなく、集団自決に追いつめられた例も少なくないのです。残留孤児はこうして作られ、文化大革命の時にはただ日本人の血を引くというだけで侵略の責めを一身に背負わされたのです。その人たちの引き揚げは今も未完です。今年も肉親捜しに訪日した孤児の報道がありました。
帰ってくることができたひとびとの苦難にも限りがありません。たまりかねた人たちが裁判を起こし、国家補償的救済を求めた結果、先日、待遇改善の法律がようやく成立しました。しかし、これとても帰ってきてよかったという安堵感をもたらすとはいえず、私たち自身の受け入れる心と支援が望まれています。
この劇の冒頭などで松本さんが指摘しているようないくつかの解説的セリフが加えられ、植民者としての日本人の位置づけがはかられていますが、その程度の工夫で、どうなるものでもありません。侵略と植民地支配という他民族との関係だけではなく、支配民族である日本人の中でも自分がどの位置にいるかという自己認識ー自己の相対化がこの作品の著者には決定的に不足しているのです。
歴史に巻き込まれた一女性の敗戦直後の手記にあれこれと批判をするつもりはありません。しかし、今を生きる日本の市民として自己がやっていることを今の社会の中で相対化することができなければ普遍的な共感を得ることはできません。
蛇足。この劇を見てから藤原正彦という人が原著者の次男だと知りました。水曜日の読売新聞で偶然この人の文章を読みました。父は一人になっても弱者の立場に立って闘えと言ったが、母はそんなことをしたら(お茶の水女子大の)教授になれないと反対したとか。どういうことを巡ってかはわからないが何となく腑に落ちるところを感じました。
僕はかつて『流れる星は生きている』を読んだことがあります。しかし、松本さんと同じように逃避行を共にしているような緊迫感を感じながら読んだ(読んでもらった)のははじめてです。出演者の好演のたまものです。ただ、感動に浸って劇の余韻をかみしめるということはなく、いろいろなことを考えさせられたことも事実です。
僕は1980年代に中国残留孤児2世の生徒たちとの出会いがあってはじめて『満州』と抜き差しならない関係を持つようになりました。脱出・引き揚げについても学ぶ機会を積極的に作りました。生徒のおばあちゃんを招いて開拓団の逃避行や集団自決に追い込まれた体験をみんなで聞いたのをはじめとして、各地に出かけて体験者の話を聞きました。
昨年は文京高校の生徒だった人のおばあちゃんを天草に尋ねて思いがけない話を聞きました。14歳で親に売られた人の17歳の時の奉天(今の瀋陽)からの引き揚げ体験です。助け助けられた逃避行の中で同行の人の子を見捨てるほかはなかった体験は今もこの人の生き方の原点をなしています。自らをを律することの厳しさとにじみ出る優しさに圧倒されて僕は深く叱咤され励まされたのです。(『木苺』129 号)
敗戦直後に書かれたこの著書が貴重な記録であることは確かです。しかし、私たちはあれから60年後の現代を生き、この著作を相対的に評価することができる体験を積み重ねてきたはずです。
著者は自分たちは関東軍に見捨てられたと思っていたのですが、ソ連との国境に配置された開拓団や満蒙開拓義勇軍の人たちから見れば満鉄や傀儡政府の役人たちも同罪です。近くの駅にたどり着いても乗る列車はなく、集団自決に追いつめられた例も少なくないのです。残留孤児はこうして作られ、文化大革命の時にはただ日本人の血を引くというだけで侵略の責めを一身に背負わされたのです。その人たちの引き揚げは今も未完です。今年も肉親捜しに訪日した孤児の報道がありました。
帰ってくることができたひとびとの苦難にも限りがありません。たまりかねた人たちが裁判を起こし、国家補償的救済を求めた結果、先日、待遇改善の法律がようやく成立しました。しかし、これとても帰ってきてよかったという安堵感をもたらすとはいえず、私たち自身の受け入れる心と支援が望まれています。
この劇の冒頭などで松本さんが指摘しているようないくつかの解説的セリフが加えられ、植民者としての日本人の位置づけがはかられていますが、その程度の工夫で、どうなるものでもありません。侵略と植民地支配という他民族との関係だけではなく、支配民族である日本人の中でも自分がどの位置にいるかという自己認識ー自己の相対化がこの作品の著者には決定的に不足しているのです。
歴史に巻き込まれた一女性の敗戦直後の手記にあれこれと批判をするつもりはありません。しかし、今を生きる日本の市民として自己がやっていることを今の社会の中で相対化することができなければ普遍的な共感を得ることはできません。
蛇足。この劇を見てから藤原正彦という人が原著者の次男だと知りました。水曜日の読売新聞で偶然この人の文章を読みました。父は一人になっても弱者の立場に立って闘えと言ったが、母はそんなことをしたら(お茶の水女子大の)教授になれないと反対したとか。どういうことを巡ってかはわからないが何となく腑に落ちるところを感じました。