だいぶ時がたちましたが、11月26日の僕の文章に対してmatumotoさんから寄せられた疑問や批判におもいつくままに感想を書きます。
先日、この朗読劇を一緒に観覧した上尾に住む忠幸さんからメールをいただきました。論点を整理してくれていますので、ご本人の了解を得て紹介します。
『流れる星…』の感想です。
今回のような朗読劇(通常の演劇でもそうでしょうが)の出演者にとって、テーマ、台本を選ぶにあたってのまず第一の観点は、それが出演者自身の気持ちを引き立て、情熱を引き出すにふさわしいものか、と言うことになるでしょう。『流れる星…』はこの点で充分に成功していたと思います。
年齢、性別、社会経験を異にする社会人(=アマチュア演技者)が、母と幼子3人による死と隣り合わせの困難な情況を乗り越えての脱出行をテーマに選ぶとなれば、それは自ずと各自の家族に対する思いとも重なり、演し物の基本的な流れを熱気あふれるものとすることになるでしょう。『流れる星…』は、出演者諸氏の情熱を充分に引き出していた、と感じました。
また同時に、啓介さんの言う、なぜ、今、このテーマ・台本なのか、という思想的な面からの検討も、台本の評価とからめて問題になると思います。
『流れる星…』のテーマが日本におけるアジア・太平洋戦争の総括・評価の現況と否応なく関わってくるからです。この問題については今後、出演者、観客が(実りある成果が得られるよう細心の注意を払いつつ)引き続き論じ合い、(時間をかけてでも)論じ続けることが期待されます。すでに始まっている啓介さんとmatsumotoさんの討論を、私は関心を持って読んでいます。私も、ゆっくり、議論に参加したいと思います。
第一の点については何も付け加えることはありません。この劇をやった人たちの「認識が幼稚だったり不充分だ」なんて思いません。「叱りつける」なんてとんでもないことです。ただ、劇や映画などをほとんど見ない僕が、勝義さんが出るというのでみせていただいたのですが、僕は「感動するということはなかったなー」と言うだけです。
普通ならこれだけですが、親しい友だちですから感想を伝えなければなりません。それで勝義さんが訪ねて見えたときに、僕がなぜ「感動することはなかったなー」と思ったのか自分なりに分析してお話ししたのです。「普遍的共感を得ることはできません」と仰山な言葉で締めくくってしまいましたが、それはさしあたって「僕は共感しなかった」という意味です。
これからあと、いろいろと書いたのですが僕の不手際で消えてしまいました。明日から月曜日まで姉の見舞いや、父の七七忌で高知・室戸に帰ってきます。続きはまた後日と言うことにさせてください。
先日、この朗読劇を一緒に観覧した上尾に住む忠幸さんからメールをいただきました。論点を整理してくれていますので、ご本人の了解を得て紹介します。
『流れる星…』の感想です。
今回のような朗読劇(通常の演劇でもそうでしょうが)の出演者にとって、テーマ、台本を選ぶにあたってのまず第一の観点は、それが出演者自身の気持ちを引き立て、情熱を引き出すにふさわしいものか、と言うことになるでしょう。『流れる星…』はこの点で充分に成功していたと思います。
年齢、性別、社会経験を異にする社会人(=アマチュア演技者)が、母と幼子3人による死と隣り合わせの困難な情況を乗り越えての脱出行をテーマに選ぶとなれば、それは自ずと各自の家族に対する思いとも重なり、演し物の基本的な流れを熱気あふれるものとすることになるでしょう。『流れる星…』は、出演者諸氏の情熱を充分に引き出していた、と感じました。
また同時に、啓介さんの言う、なぜ、今、このテーマ・台本なのか、という思想的な面からの検討も、台本の評価とからめて問題になると思います。
『流れる星…』のテーマが日本におけるアジア・太平洋戦争の総括・評価の現況と否応なく関わってくるからです。この問題については今後、出演者、観客が(実りある成果が得られるよう細心の注意を払いつつ)引き続き論じ合い、(時間をかけてでも)論じ続けることが期待されます。すでに始まっている啓介さんとmatsumotoさんの討論を、私は関心を持って読んでいます。私も、ゆっくり、議論に参加したいと思います。
第一の点については何も付け加えることはありません。この劇をやった人たちの「認識が幼稚だったり不充分だ」なんて思いません。「叱りつける」なんてとんでもないことです。ただ、劇や映画などをほとんど見ない僕が、勝義さんが出るというのでみせていただいたのですが、僕は「感動するということはなかったなー」と言うだけです。
普通ならこれだけですが、親しい友だちですから感想を伝えなければなりません。それで勝義さんが訪ねて見えたときに、僕がなぜ「感動することはなかったなー」と思ったのか自分なりに分析してお話ししたのです。「普遍的共感を得ることはできません」と仰山な言葉で締めくくってしまいましたが、それはさしあたって「僕は共感しなかった」という意味です。
これからあと、いろいろと書いたのですが僕の不手際で消えてしまいました。明日から月曜日まで姉の見舞いや、父の七七忌で高知・室戸に帰ってきます。続きはまた後日と言うことにさせてください。