昨日は風もなく暖かだったので入間川河川敷の公園を歩いてきました。榎木やクヌギがすっかり葉を落としています。鳥の声を聞きながら落ち葉を踏みしめました。今日は室戸でいう「しびくた」日和です。妻は丸木美術館の応援に行きましたので一人、ブログ書きです。
20日に「在日コリアンの日本国籍取得権確立協議会」のニュースを発送しました。宛名書き、封筒詰めなどで半日仕事。僕はほかに「きいちご多文化共生基金」の事務局を預かっています。妻は両団体の会計。今年は僕の予定が定まらず、両団体の活動の停滞を招きました。特に前者の事務局長を若い人に引き継ぎたいのですが、事務局員さえいない有様です。関心がある方がいたら名乗り出てください。
僕は1969年に池袋商業高校に転勤になった年から、市民運動を始めました。学校の近くに住む八木茂夫さんと大島高校農林科卒業生らと「現代教育から人間を守る会」を作ったのです。八木さんは孔版印刷を業とする方でした。蝋の原紙に鉄筆で字を書き、製版するのです。もう40代だったと思いますが若いだけが取り柄の私たちと一緒に悩み、一緒に歩いてくれました。教条や思いこみに支配されることなく、生活の現実に学びながら、生きる指針を見つけだしていこうとする努力の大切さを学びました。僕は教師でありながら「学校」というものが嫌いで、しばしば登校拒否になったのですが、これらのひとびととの交流のおかげで危機を乗り越え、自分なりに、対峙する思想を形成することができました。
それ以後、今日に至るまでさまざまな市民運動に関わってきました。運営の中心にいたもの、集会に参加したり機関誌を購読したりするだけのもの、関わり方はさまざまですが、これが僕の人生の学校です。
昨日はその学校の「授業料」を払う日でした。毎年、今頃、郵便振替で市民団体の会費を払い込むのです。ボーナスが出ていた頃の習慣です。二人で一人前の収入しかない我が家ではそうするしかなかったのです。(長い間、預金というものはありませんでした)。
退職をしてから、会費を払う団体を徐々に減らしてきたのですがこれはなかなかの決断が要ります。お世話になってきた方々と縁が切れるからです。今年も、これで終わりにしますという言葉を振替用紙に書きました。4月から完全な年金生活者になり、3ヶ月ごとの定期検査にかかる医療費も高額なのです。
これからも学びの場を大切にしていきたいと思います。お金はますます窮屈になっていきますが、時間は沢山あります。元気に生きて「時間」で授業料を払うようにできればと思います。
僕から見ると妻には休みというものがありません。しょっちゅう手を動かして手芸品を編んでいます。売り上げを「評議員」ということになっている丸木美術館に寄付するのです。こうやって「授業料」を払っているのでしょう。電車の中でも飛行機の中でもやっています。何もできない僕から見ると大変そうに見えますが本人はそうでもないらしく、手が自然に動くのでしょうか。
僕にできることといえば掃除、草取り、宛名書きぐらいです。器用なことは何もできません。
20日に「在日コリアンの日本国籍取得権確立協議会」のニュースを発送しました。宛名書き、封筒詰めなどで半日仕事。僕はほかに「きいちご多文化共生基金」の事務局を預かっています。妻は両団体の会計。今年は僕の予定が定まらず、両団体の活動の停滞を招きました。特に前者の事務局長を若い人に引き継ぎたいのですが、事務局員さえいない有様です。関心がある方がいたら名乗り出てください。
僕は1969年に池袋商業高校に転勤になった年から、市民運動を始めました。学校の近くに住む八木茂夫さんと大島高校農林科卒業生らと「現代教育から人間を守る会」を作ったのです。八木さんは孔版印刷を業とする方でした。蝋の原紙に鉄筆で字を書き、製版するのです。もう40代だったと思いますが若いだけが取り柄の私たちと一緒に悩み、一緒に歩いてくれました。教条や思いこみに支配されることなく、生活の現実に学びながら、生きる指針を見つけだしていこうとする努力の大切さを学びました。僕は教師でありながら「学校」というものが嫌いで、しばしば登校拒否になったのですが、これらのひとびととの交流のおかげで危機を乗り越え、自分なりに、対峙する思想を形成することができました。
それ以後、今日に至るまでさまざまな市民運動に関わってきました。運営の中心にいたもの、集会に参加したり機関誌を購読したりするだけのもの、関わり方はさまざまですが、これが僕の人生の学校です。
昨日はその学校の「授業料」を払う日でした。毎年、今頃、郵便振替で市民団体の会費を払い込むのです。ボーナスが出ていた頃の習慣です。二人で一人前の収入しかない我が家ではそうするしかなかったのです。(長い間、預金というものはありませんでした)。
退職をしてから、会費を払う団体を徐々に減らしてきたのですがこれはなかなかの決断が要ります。お世話になってきた方々と縁が切れるからです。今年も、これで終わりにしますという言葉を振替用紙に書きました。4月から完全な年金生活者になり、3ヶ月ごとの定期検査にかかる医療費も高額なのです。
これからも学びの場を大切にしていきたいと思います。お金はますます窮屈になっていきますが、時間は沢山あります。元気に生きて「時間」で授業料を払うようにできればと思います。
僕から見ると妻には休みというものがありません。しょっちゅう手を動かして手芸品を編んでいます。売り上げを「評議員」ということになっている丸木美術館に寄付するのです。こうやって「授業料」を払っているのでしょう。電車の中でも飛行機の中でもやっています。何もできない僕から見ると大変そうに見えますが本人はそうでもないらしく、手が自然に動くのでしょうか。
僕にできることといえば掃除、草取り、宛名書きぐらいです。器用なことは何もできません。