川越だより

妻と二人あちこちに出かけであった自然や人々のこと。日々の生活の中で嬉しかったこと・感じたこと。

鳩山さんの行動を支持する

2012-07-21 13:27:49 | 自然と人間(震災・津波・原発事故)

 7月23日「月)

昨日パソコンが健康診断のため入院しました。退院まで数日かかる見込みです。このため十勝の旅印象記はしばらくお休みです。

先週金曜日の官邸前集会で鳩山元首相が演説し、官邸に直談判に行ったそうです。

国会が機能停止になっているいま、心ある議員が国民とともに行動し、民衆の意思を政治に反映させようとすることは時宜にかなっています。元首相だけでなく国会議員もどんどん集会に参加し民主主義の再生に努めてほしいものです。  

鳩山元首相の演説 ●http://www.youtube.com/watch?v=2rTDW26SZWw

鳩山元首相のHP記事

  • 「再稼働反対大集会」

    「毎週金曜日に行われている首相官邸前での再稼働反対の大規模行動に行きました。雨の中、多くの皆さんが参加されていました。集まってこられた皆さんと私とは様々な点で意見が違うことも多くあると思います。しかし、私が最初の民主党を立ち上げた時、「市民が主役の民主党」とスローガンを高く掲げ、現在の民主党になっても、「国民の生活が第一」という約束を国民の皆さまとさせて頂いた結果、政権交代がなし遂げられたのだと思います。私がこの集会に行かなければと思ったのは、私自身が、一衆議院議員として、また内閣総理大臣を務めた者として、毎回増えていく国民の声、民意のエネルギーに五感をもって触れる必要があるという一念と同時に、この思いを直接官邸に伝えなければなければならないということです。特定のイデオロギーや政治的な集会だけではこのようなパワーは生まれません。

     直後に官邸を訪ね、藤村官房長官に面会し、この民主主義の新しいうねりの中で、彼らの民意を直接野田総理に伝えられる機会を作ってもらいたいと申し上げ、同長官からは、直接総理に伝えるとの回答を頂きました。

     今我々は、『大きな声だな』と言うだけでなく、今、国民が何に苦しみ、何を考え、何を求めているか、を真剣に考え、行動しなければなりません。私個人としては、原発の再稼働については、福島原発事故の原因が完全に究明されておらず、国会事故調査委員会の調査により、その原因が津波だけでなく地震による可能性が指摘されているにも拘わらず、再稼働に踏み切るのということについては、どう考えても賛成できません。

     野田総理をはじめ、与野党を問わず、国民に選ばれた者として、全国各地で起こっているこのような声にまず耳を傾けることが大事だと、私は確信します。」

        出典●http://www.hatoyama.gr.jp/activity/detail.php?id=104


驍さんの笑顔に会えた  十勝の旅印象記⑤

2012-07-21 07:52:38 | 出会いの旅

7月5日(木)~7日(土)

 <5日> 広尾を出たあとは大津で十勝川の河口の景観を眺めました。遠い昔、松浦武四郎もここから十勝に入ったのでしょう。整備された土手の上を池田方向にドライブしました。サイコーです。

 

 池田では片桐正一さんと竹島篁・美智子夫妻を訪ねました。

片桐さんはこの町の元教育長です。1962年僕が大学生だった時から池田の人々と私たちを結びつけてくれた方です。竹島ご夫妻には1973年夏に世話になりました。私たちの家族4人が美智子さんの実家でもある隣家を借りてひと夏を過ごしたときに片桐さんの奥さんと共にあれこれと面倒を見てくれたのです。息子は生後7箇月、娘は3歳でした。

 僕は池田駅から汽車に乗って生徒たちが世話になっている大森8線の駅(池北線の簡易乗降駅)に毎日通いました。

奥さんと息子さんをなくされた片桐さんですが、今は日本全国を飛び回って縁のあった人々との交流を楽しまれています。先年、川越にも来てくれました。お元気そうでなによりです。

 竹島篁さんは国鉄マンでした。民営化、池北線・機関区の廃止‥。幾たびかの転職を余儀なくされたのですが昔と変わらぬ笑顔で迎えてくれました。

 あれから来年で40年です。 「ワインのまち」も今は過疎のただ中で静かです。いつまでもお元気で!

 片桐さん           竹島さん夫妻       JR十勝池田駅

写真: 片桐正一北海道池田町元教育長 写真: 池田町竹島さんご夫妻 写真: Jr池田駅

 

<6日>昼過ぎ、北山正樹・陽子ご夫妻と森田驍さんを見舞いました。

 74年は北山さん、75年は森田さん。僕は両家に厄介になって二週間を過ごしました。だからふた組みのご夫婦は僕の農業の先生です。

体調を崩して帯広の病院に入院していた驍(たけし)さんが庭を散歩していました。畑仕事に忙しい房子さんも気づいてやってきてくれました。

 これが今回の旅の最大の目的です。驍さんはいつもの笑顔を見せてくれました。出会ってから50年、万年青年の面目躍如です。

私たちは同い年です。今少し、元気に生きて今度は農業と農村、そして日本の未来について語り合いたいものです。