3月10日(日)晴れ
昨夜、伊豆の保養から帰ったら塩崎さんの訃報が届いていました。2月28日、北海道旭川の病院でなくなったということです。
友人たちと一緒に東京の病院を見舞ったのは2月10日でした。会話もままならず、ただただ故郷の大地での幸運を祈るばかりでした。それでも春になったら見舞いに行くからね、とはつたえました。春を待つことなく逝ってしまいました。
7年前、僕が入院したときにひょこっと顔を出してくれました。長い付き合いなのに恥ずかしそうに何かひとこと言ってくれました。
いつのことだったか、こんどは僕が塩崎さんのワンルームマンションをひょっこり訪ねました。抗がん剤治療で苦しかった話を聞きました。コーヒーを入れてくれる元気がありました。思いがけなくガン友になった旧友に僕の闘病体験を語ったのではなかったか。
「《多文化共生をめざす》在日・韓国朝鮮人生徒の教育を考える会」の世話人として長く一緒に歩いてくれた方です。高校の英語の教師を早めに辞めて日本語学校の先生になるなど、自分に忠実に生きようとしているようでした。
夜は「木苺舎」で日本語教室の先生。世話になった元「生徒」の悲しみを想っています。
僕よりは10歳は若いはずです。故郷は旭川の北の士別ですがルーツの地は四国・伊予です。先祖の地訪問に同行できる日があるかと、思っていたものです。それがこの始末です。予想のできない急展開に驚いています。
塩崎さん、辛い闘病だったね。ゆっくり休んでね。
正人、洪大杓、コニヤン、塩崎さん。若い、大切な友人を次々ともぎ取られていきます。
今日はこれから上福岡に出かけて「鎮魂・抗い 3・11後を生きるひとびと」という写真展を見に行きます。「川越だより」を読んでくれているという若い女性の主催です。僕のもっとも新しい友人です。
思えば僕はこうやって若い人びとに出会い、励まし励まされながら生きてきました。