先に僕は 「運命を狂わせられた人は限りなく居ますが、中でも金日成の還暦に際し『生ソンムル(生の贈りもの)』として『献上』された200人の朝鮮大学校生のことはもっと知られるべきです。」と書き、この事件に深く関わった朝鮮大学校元副学長が罪の告白をしたNHKの番組を紹介した。
その番組を克明に書き起こしたブログに出会うことが出来たのでその地道な作業に感謝しつつ勝手ながら該当部分を紹介することにする。優れた番組なので読者が全体を読まれることを希望する。
この番組では金日成の還暦祝いに差し出されたのは「在日の若者や学生およそ260人」とされている。このころ『赤旗』のピョンヤン特派員だった萩原遼さんは日本から来たコリアンのオートバイ部隊(数十人?)を偶然目撃したという。朝鮮大学生200人のほかに60人程度の青年がさらに加えられていたのかもしれない。
NHKスペシャル『北朝鮮帰国船
~知られざる半世紀の記録~』(07年10月8日)
【ナレーター】
(略)
日本で帰国運動の中心となったのは朝鮮総連、在日本朝鮮人総連合会です。北朝鮮を地上の楽園と呼び祖国の発展を伝えました。帰国者を送り出した人の多くは堅く口を閉ざしていますが、今回、自らの体験を語る決断をした人がいます。パク・ヨンゴンさん、79歳。東京にある朝鮮大学の副学長を20年以上に渡って務めた朝鮮総連の元幹部です。パクさんは北朝鮮の国家理念・チュチェ思想を日本で広めるのに大きな役割を果たしました。金日成(キム・イルソン)とも数多く面会できる立場にいました。
帰国事業が始まった翌年から朝鮮大学で教鞭をとったパクさん。北朝鮮から送られてくる資料を信じ祖国の発展を評価する論文をいくつも書きました。
「人類に変革をもたらし前進する祖国にチョンリマ(千里馬)が駆け抜ける」(映像 映画「チョンリマ(千里馬)」
*チョンリマ(千里馬)―社会主義朝鮮の記録― 1964年度作品
http://aoinomama13.seesaa.net/article/34007322.html
当時、北朝鮮は工業生産の増大を計るチョンリマ(千里馬)運動を推進。「5ヵ年計画の目標を2年半で達成した」と発表しました。パクさんは1960年の論文で次のように記しています。
「朝鮮の勤労大衆は比類のない想像力を発揮し大成果を収めた。国民経済のすべての分野において決定的に勝利した。」
【元朝鮮大学副学長 パク・ヨンゴンさん】
「ああ、これだけ見事に発展しているんだと。それに対する誇りすら持ちましたし、やはり我が民族はこれだけやれる能力と素質を持っているんだという誇りも感じていたんです。この社会主義の中でも最も模範的な社会主義として形成されていると。こう信じた。信じて疑わなかったんです。」
【ナレーター】
パクさんたちが信じ続けた社会主義の発展。帰国を希望する人の数は減っていきましたが、それでも途絶えることはありませんでした。1972年、パクさんは教え子を自ら説得し北朝鮮に送り出しました。この年は金日成誕生60周年の年。在日の若者や学生およそ260人が金日成にお祝いの手紙を手渡すため帰国し、そのまま北朝鮮に残りました。この時、パクさんは幹部から指示され学生たちが北朝鮮に行くよう一人一人説得して回りました。
【元朝鮮大学副学長 パク・ヨンゴンさん】
「『社会主義建設の先頭に立って君たちが自分たちの才能を十二分に発揮すればこれは君たち自身にとっても良いことであり、また朝鮮の建設にも役立つ』と。私はそれは本気でその通りだと思ってそういう説得をしました。」
【ナレーター】
教え子を送り出した2年後、パクさんの北朝鮮への訪問が初めて実現。教員訪問団の一員として求められたのです。発展した祖国を見ることができる。しかしパクさんは初めて見る祖国の現状に衝撃を受けました。土を耕すやせ細った牛。電気も水道も行き渡っていない農村。理想とかけ離れた現実を目の当たりにしたのです。
【元朝鮮大学副学長 パク・ヨンゴンさん】
「自分が日本で書いたあの論文と自分の頭の中で描いたあの社会主義、これがほとんどなかったということ。言うなれば自分があれほど模範的な社会主義建設を想像したものとは遠く及ばない現実が目の当たりにあったので、大きな大きなそれこそ衝撃と落胆と言い知れぬ悲哀、こういう様々な心情に陥ったわけであります。」
【ナレーター】
パクさんにはさらに衝撃を受ける出来事がありました。金日成に絶対的な忠誠を誓うよう求めた10大原則を現地で告げられたのです。党の指導員から無条件に従うよう求められました。「指導者を神格化した」と言われる原則は社会主義を信じるパクさんにとって受け入れ難いものでした。
「党の唯一思想体系確立の十大原則」の骨子
金正日は、1974年2月に開催された中央委員会第5期第8次全員会議で後継者として正式に決定されるとともに、政治局委員に任命された。金正日は2月19日の演説で、「全社会の金日成主義化」を党の戦略目標として提起した。また、4月14日には「全党と全社会に唯一思想体系をよりしっかりと立てよう」と題する演説を行い、「党の唯一思想体系確立の十大原則」を提起した。
偉大な首領金日成同志の革命思想によって全社会を一色化するため身を捧げて闘争しなければならない。
1、偉大な首領金日成同志を忠誠で高く仰ぎ奉じなければならない。
2、偉大な首領金日成同志の権威を絶対化しなければならない。
3、偉大な首領金日成同志の革命思想を信念として、首領さまの教示を信条化しなければならない。
4、偉大な首領金日成同志の教示執行において無条件性の原則を徹底して守らなければならない。
5、偉大な首領金日成同志を中心とする全党の思想意思的統一と革命的団結を強化しなければならない。
6、偉大な首領金日成同志に従い学ぶ共産主義的気風と革命的事業方法、人民的事業作風を所有しなければならない。
7、偉大な首領金日成同志が抱かせてくださった政治的生命を大切に守り、首領さまの大きな政治的信任と配慮に高い政治的自覚と技術により忠誠で報答しなければならない。
8、偉大な首領金日成同志の唯一的領導の下に全党、全国、全軍が一体となって動く強い組織規律を立てなければならない。
9、偉大な首領金日成同志が開拓された革命偉業を代を継いで最後まで継承し完成させていかなければならない。
『資料 北朝鮮研究 Ⅰ政治・思想』慶應義塾大学出版会
【ナレーター】
祖国の発展を担う人材として送り出した教え子たちはどうなっているのか?パクさんは北朝鮮で彼らと再会し言葉を失いました。教え子たちはパクさんが思い描いたような生活を送ることは許されていなかったからです。
【元朝鮮大学副学長 パク・ヨンゴンさん】
「彼らの置かれている現状をかなりたくさん見ました。彼らは自分たちの希望通りの大学にも行けなかったし、仮に大学を卒業しても自分たちの希望する職場にも就けなかった。そういう状況に置かれていました。帰国した学生に対して本当にこれは消すことのできない罪を犯したなと、そういう思いで・・、悩み続けました・・。」
【ナレーター】
心に描いた理想とはかけ離れた帰国者の現実。日本に戻ったパクさんは誰とも話をすることができませんでした。
(中略)
【ナレーター】
軍がすべてに優先する国・北朝鮮。その軍事技術に日本からの物資が使われたと見られています。9万3千人余りの人々が北朝鮮へと渡った帰国事業は1984年に終了しました。祖国訪問の船には万景峰号(マンビョンボン号)が就航し、去年活動を停止するまで運行を続けました。
祖国の現状を目の当たりにし悩み続けたパク・ヨンゴンさん。北朝鮮の幹部から国家理念のチュチェ思想を研究するよう命じられ指示に従いました。やがて80年代に入って体制に対する疑問を抑えられなくなったパクさんをなだめたのは、チュチェ思想の権威ファン・ジャンヨプ氏(朝鮮労働党元書記)でした。後に亡命したファン氏も当時から体制に疑問を抱いていました。ある時、平壌で二人は盗聴を恐れ歩きながら話をしました。パクさんは問いました。「矛盾を感じるなら何故戦わないのですか?」ファン氏は次のように諭したと言います。
【元朝鮮大学副学長 パク・ヨンゴンさん】
「『我々は犬死になる。犬死したってどうしようもないじゃないか。それから家族・親類に及ぶ弾圧はこれは悲惨なものだ』と。『だから今の体制に矛盾を感じながらもどう自分たちの研究をこの真理を追究していくか、これを模索しやっているんだ』と。『だから先生もそのことを念頭において、万歳を唱えなきゃならない時は万歳を唱え拍手をしなきゃならない時は拍手をし・・』・・。」
【ナレーター】
パクさんは体制に対する疑問を隠しながら時にはそれを賛美し30年近くチュチェ思想の研究を続けました。しかし3年前、自らの思いを率直に記した手記を執筆(「人間中心の人生観」)、自分の行いを「恥じるばかりである」と記しました。パクさんは朝鮮総連の役職から離れました。
【元朝鮮大学副学長 パク・ヨンゴンさん】
「ただ誤った体制であるということが明らかになった時点でも・・、必ずしも私は勇敢に立ち上がることができませんでした。だけども最後の人生を送るには反省と同時につまり正しく自分の一生をまとめたい、こう思っています・・。」
出典○'07 10/8 NHKスペシャル “北朝鮮帰国船”~知られざる半世紀の記録~ http://aoinomama1313.seesaa.net/article/135936416.html
<補足>パク元副学長
この時期の朝鮮大学校OBたちのHPを見るとこんなやりとりが記録されている。
07.10.10-静岡の○東○が電話で、「NHK見たか?」、「中央何とか見たか?」。ああいう形で、パク・ヨンゴン先生であれ、パク・ピョンヒョン先生であれ、話題になってほしくない。
○出典http://www4.ocn.ne.jp/~uil/14ki-in.htm
副学長の悲痛な罪の告白も犠牲になった人々の同級生のこころにはひびかないのだろうか?
パク・ヨンゴン元副学長が朝鮮総連に軟禁されているという話を聞いたことがある。そんなことが許されてはならない。NHKはその後のパクさんを取材してより丁寧に事実に迫って欲しい。
その番組を克明に書き起こしたブログに出会うことが出来たのでその地道な作業に感謝しつつ勝手ながら該当部分を紹介することにする。優れた番組なので読者が全体を読まれることを希望する。
この番組では金日成の還暦祝いに差し出されたのは「在日の若者や学生およそ260人」とされている。このころ『赤旗』のピョンヤン特派員だった萩原遼さんは日本から来たコリアンのオートバイ部隊(数十人?)を偶然目撃したという。朝鮮大学生200人のほかに60人程度の青年がさらに加えられていたのかもしれない。
NHKスペシャル『北朝鮮帰国船
~知られざる半世紀の記録~』(07年10月8日)
【ナレーター】
(略)
日本で帰国運動の中心となったのは朝鮮総連、在日本朝鮮人総連合会です。北朝鮮を地上の楽園と呼び祖国の発展を伝えました。帰国者を送り出した人の多くは堅く口を閉ざしていますが、今回、自らの体験を語る決断をした人がいます。パク・ヨンゴンさん、79歳。東京にある朝鮮大学の副学長を20年以上に渡って務めた朝鮮総連の元幹部です。パクさんは北朝鮮の国家理念・チュチェ思想を日本で広めるのに大きな役割を果たしました。金日成(キム・イルソン)とも数多く面会できる立場にいました。
帰国事業が始まった翌年から朝鮮大学で教鞭をとったパクさん。北朝鮮から送られてくる資料を信じ祖国の発展を評価する論文をいくつも書きました。
「人類に変革をもたらし前進する祖国にチョンリマ(千里馬)が駆け抜ける」(映像 映画「チョンリマ(千里馬)」
*チョンリマ(千里馬)―社会主義朝鮮の記録― 1964年度作品
http://aoinomama13.seesaa.net/article/34007322.html
当時、北朝鮮は工業生産の増大を計るチョンリマ(千里馬)運動を推進。「5ヵ年計画の目標を2年半で達成した」と発表しました。パクさんは1960年の論文で次のように記しています。
「朝鮮の勤労大衆は比類のない想像力を発揮し大成果を収めた。国民経済のすべての分野において決定的に勝利した。」
【元朝鮮大学副学長 パク・ヨンゴンさん】
「ああ、これだけ見事に発展しているんだと。それに対する誇りすら持ちましたし、やはり我が民族はこれだけやれる能力と素質を持っているんだという誇りも感じていたんです。この社会主義の中でも最も模範的な社会主義として形成されていると。こう信じた。信じて疑わなかったんです。」
【ナレーター】
パクさんたちが信じ続けた社会主義の発展。帰国を希望する人の数は減っていきましたが、それでも途絶えることはありませんでした。1972年、パクさんは教え子を自ら説得し北朝鮮に送り出しました。この年は金日成誕生60周年の年。在日の若者や学生およそ260人が金日成にお祝いの手紙を手渡すため帰国し、そのまま北朝鮮に残りました。この時、パクさんは幹部から指示され学生たちが北朝鮮に行くよう一人一人説得して回りました。
【元朝鮮大学副学長 パク・ヨンゴンさん】
「『社会主義建設の先頭に立って君たちが自分たちの才能を十二分に発揮すればこれは君たち自身にとっても良いことであり、また朝鮮の建設にも役立つ』と。私はそれは本気でその通りだと思ってそういう説得をしました。」
【ナレーター】
教え子を送り出した2年後、パクさんの北朝鮮への訪問が初めて実現。教員訪問団の一員として求められたのです。発展した祖国を見ることができる。しかしパクさんは初めて見る祖国の現状に衝撃を受けました。土を耕すやせ細った牛。電気も水道も行き渡っていない農村。理想とかけ離れた現実を目の当たりにしたのです。
【元朝鮮大学副学長 パク・ヨンゴンさん】
「自分が日本で書いたあの論文と自分の頭の中で描いたあの社会主義、これがほとんどなかったということ。言うなれば自分があれほど模範的な社会主義建設を想像したものとは遠く及ばない現実が目の当たりにあったので、大きな大きなそれこそ衝撃と落胆と言い知れぬ悲哀、こういう様々な心情に陥ったわけであります。」
【ナレーター】
パクさんにはさらに衝撃を受ける出来事がありました。金日成に絶対的な忠誠を誓うよう求めた10大原則を現地で告げられたのです。党の指導員から無条件に従うよう求められました。「指導者を神格化した」と言われる原則は社会主義を信じるパクさんにとって受け入れ難いものでした。
「党の唯一思想体系確立の十大原則」の骨子
金正日は、1974年2月に開催された中央委員会第5期第8次全員会議で後継者として正式に決定されるとともに、政治局委員に任命された。金正日は2月19日の演説で、「全社会の金日成主義化」を党の戦略目標として提起した。また、4月14日には「全党と全社会に唯一思想体系をよりしっかりと立てよう」と題する演説を行い、「党の唯一思想体系確立の十大原則」を提起した。
偉大な首領金日成同志の革命思想によって全社会を一色化するため身を捧げて闘争しなければならない。
1、偉大な首領金日成同志を忠誠で高く仰ぎ奉じなければならない。
2、偉大な首領金日成同志の権威を絶対化しなければならない。
3、偉大な首領金日成同志の革命思想を信念として、首領さまの教示を信条化しなければならない。
4、偉大な首領金日成同志の教示執行において無条件性の原則を徹底して守らなければならない。
5、偉大な首領金日成同志を中心とする全党の思想意思的統一と革命的団結を強化しなければならない。
6、偉大な首領金日成同志に従い学ぶ共産主義的気風と革命的事業方法、人民的事業作風を所有しなければならない。
7、偉大な首領金日成同志が抱かせてくださった政治的生命を大切に守り、首領さまの大きな政治的信任と配慮に高い政治的自覚と技術により忠誠で報答しなければならない。
8、偉大な首領金日成同志の唯一的領導の下に全党、全国、全軍が一体となって動く強い組織規律を立てなければならない。
9、偉大な首領金日成同志が開拓された革命偉業を代を継いで最後まで継承し完成させていかなければならない。
『資料 北朝鮮研究 Ⅰ政治・思想』慶應義塾大学出版会
【ナレーター】
祖国の発展を担う人材として送り出した教え子たちはどうなっているのか?パクさんは北朝鮮で彼らと再会し言葉を失いました。教え子たちはパクさんが思い描いたような生活を送ることは許されていなかったからです。
【元朝鮮大学副学長 パク・ヨンゴンさん】
「彼らの置かれている現状をかなりたくさん見ました。彼らは自分たちの希望通りの大学にも行けなかったし、仮に大学を卒業しても自分たちの希望する職場にも就けなかった。そういう状況に置かれていました。帰国した学生に対して本当にこれは消すことのできない罪を犯したなと、そういう思いで・・、悩み続けました・・。」
【ナレーター】
心に描いた理想とはかけ離れた帰国者の現実。日本に戻ったパクさんは誰とも話をすることができませんでした。
(中略)
【ナレーター】
軍がすべてに優先する国・北朝鮮。その軍事技術に日本からの物資が使われたと見られています。9万3千人余りの人々が北朝鮮へと渡った帰国事業は1984年に終了しました。祖国訪問の船には万景峰号(マンビョンボン号)が就航し、去年活動を停止するまで運行を続けました。
祖国の現状を目の当たりにし悩み続けたパク・ヨンゴンさん。北朝鮮の幹部から国家理念のチュチェ思想を研究するよう命じられ指示に従いました。やがて80年代に入って体制に対する疑問を抑えられなくなったパクさんをなだめたのは、チュチェ思想の権威ファン・ジャンヨプ氏(朝鮮労働党元書記)でした。後に亡命したファン氏も当時から体制に疑問を抱いていました。ある時、平壌で二人は盗聴を恐れ歩きながら話をしました。パクさんは問いました。「矛盾を感じるなら何故戦わないのですか?」ファン氏は次のように諭したと言います。
【元朝鮮大学副学長 パク・ヨンゴンさん】
「『我々は犬死になる。犬死したってどうしようもないじゃないか。それから家族・親類に及ぶ弾圧はこれは悲惨なものだ』と。『だから今の体制に矛盾を感じながらもどう自分たちの研究をこの真理を追究していくか、これを模索しやっているんだ』と。『だから先生もそのことを念頭において、万歳を唱えなきゃならない時は万歳を唱え拍手をしなきゃならない時は拍手をし・・』・・。」
【ナレーター】
パクさんは体制に対する疑問を隠しながら時にはそれを賛美し30年近くチュチェ思想の研究を続けました。しかし3年前、自らの思いを率直に記した手記を執筆(「人間中心の人生観」)、自分の行いを「恥じるばかりである」と記しました。パクさんは朝鮮総連の役職から離れました。
【元朝鮮大学副学長 パク・ヨンゴンさん】
「ただ誤った体制であるということが明らかになった時点でも・・、必ずしも私は勇敢に立ち上がることができませんでした。だけども最後の人生を送るには反省と同時につまり正しく自分の一生をまとめたい、こう思っています・・。」
出典○'07 10/8 NHKスペシャル “北朝鮮帰国船”~知られざる半世紀の記録~ http://aoinomama1313.seesaa.net/article/135936416.html
<補足>パク元副学長
この時期の朝鮮大学校OBたちのHPを見るとこんなやりとりが記録されている。
07.10.10-静岡の○東○が電話で、「NHK見たか?」、「中央何とか見たか?」。ああいう形で、パク・ヨンゴン先生であれ、パク・ピョンヒョン先生であれ、話題になってほしくない。
○出典http://www4.ocn.ne.jp/~uil/14ki-in.htm
副学長の悲痛な罪の告白も犠牲になった人々の同級生のこころにはひびかないのだろうか?
パク・ヨンゴン元副学長が朝鮮総連に軟禁されているという話を聞いたことがある。そんなことが許されてはならない。NHKはその後のパクさんを取材してより丁寧に事実に迫って欲しい。
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